非天マザー by B-CHAN

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人間の能力差は努力差

生まれつきの能力差なんて小さい

人間の能力差なんて、もともとたいしたことはないんですよ。
世界一早いランナーだって100メートルをせいぜい10秒弱。普通の人と比べてもほんの数パーセントの違いであり、2倍も3倍も速いと言うことはありません。
野球の好打者だって、打率はせいぜい3割台。5割も6割も打つ人はいません。
基本的に人間の体の組織構造は誰だって同じようなものですから、一人だけ他の人より5倍も6倍も秀でて生まれてくるということはありません。
でも、ある程度歳を取ると、人によって、大きな格差が生まれます。
なぜでしょうか?
それは、生まれの差ではなく、生まれてからの努力の差、なんですね。
例えば、ボクの大学受験の頃を思い出してみます。
とあるボクの同級生は英語の成績が伸びない。で、彼は言います。
「B-CHANは頭が良くていいなあ」
これ、自慢話でもなんでもなく、ボクはそのときは成績がとても良かったのですが、それはもちろん頭が良く生まれてきたからではありません。
日本に生まれてきたら、幼少の頃から英語の教育を受けない限り、中学くらいまでは頭の中には英語の知識はありません。
それはボクも彼も同じです。
では、なぜ、ボクの英語の成績は伸びて、彼は伸びなかったのか。
答えは簡単で、ボクは努力をして、彼は努力を怠ったからです。
頭が良いのではなく、頭が良くなるために誰にも負けないくらい努力を続けたか、そうでは無かったか、その差が、結果として能力差を生みます。
実際に彼に聞くと、生活の差は歴然でした。
ボクは受験の目標を達成するために、高校生活の間は毎日夜中の1時から3時頃まで勉強していましたし、テレビもまったく見ませんでしたが、彼は普通に生活していました。
1日だけでも3時間から5時間程度の勉強量の差がありました。これを2年間続けると、
3時間×365日×2年=2190
つまり、高校2年生が終わる頃には、軽く2千時間を超えるだけの能力差が生まれており、生まれつき多少の能力差があったとしても、それを軽く凌駕するだけの努力差がその時点ですでに発生していたわけです。
ボクは今でも大変多くの書物を読みますし、いろんな偉人達の言も学んでいます。
多くの人たちに共通するのは、
「物事を成し遂げる人は自分の責任を自覚し、何も出来ない人は他人に責任を押しつける」
という言葉です。
先ほどの同級生も、自分の怠慢を棚に上げて、「自分が頭が悪く生まれてきたせいだ」と環境のせいにしています。
世の中見渡せば、そういうことってよくありますよね。
自分が運が悪いから幸せになれないって嘆いている人。
良い出会いが無いから結婚できないって嘆いている人。
そういう人に限って、自分は何もしていないんですね。
運が悪いなら、その悪運をはるかに凌駕するほどの努力をするべきですし、
出会いが無いなら、徹底的にいろんなところへ顔を出して出会いを作り、誰からも好かれるように自らの性格も省みるべきです。
少し、話がそれました。
先ほどは、大学受験時の能力差の話をしましたが、実際に社会に出ると、学歴なんてものがいかにもろいモノかがよくわかります。
ボクも卒業した時点で自分の学歴は忘れることにして、そこからをスタート時点として出直しました。
22歳で卒業したとして、そこから10年間をどう過ごすか。
学歴に安住して、それなりの企業に入社して安泰となっている人もいれば、逆に、そこから大きな努力をしている人もいます。
例えば、ほとんど本を読まない人もいますが、ボクは月に10冊程度の本を読んでいます。
すると、
10冊×12ヶ月×10年間=1200冊
20年なら2400冊
つまり、10年間20年間の生活のやり方の違いで、これだけの膨大な格差が生まれます。
高校生が3年間勉強したときの格差なんてはるかに超えてしまっています。
なので、自分はそれなりの大学を出たと思って、社会人になってからろくに勉強をしていない人と、
社会人になってから相当の努力をしている人とを比べると、後者のほうが圧倒的に能力も知識も上回ります。
学歴なんて何の当てにもなりません。
30歳台や40歳台の皆さん、周りにいる同じ年齢の人たちと能力や知識を比べてみてください。
同じ年齢なのに、高校の時とは比べものにならないくらい能力の差があることがわかると思います。
それが、社会人になってからの膨大な時間の努力の差です。
ボクは今30歳台ですが、周りを見渡すと、膨大な法律知識やビジネス能力や遊びの達人たる能力や豊富な人脈をもちあわせて世の中に多大なる貢献をし、影響をもつ友人もたくさんいれば、一方で、会社にしがみつかないと何も出来ない、バランスシートすら分析できない、遊び方もうまく知らず、人脈も乏しい友人もたくさんいます。
彼らの顔ぶれを見れば、学歴なんてまさに無関係だと言うことがよくわかります。
そうなるまでの努力量の違いだということです。
実際に無能な高学歴があふれかえっていることが現実です。
どちらが良いとか悪いという話ではありません。
大人の能力差というのは、生まれではなく、膨大な努力の差によって決まるというお話でした。
だから、この不景気に収入が伸びないと悩んでいる人、今までの10倍100倍の努力をして、他の誰もを寄せ付けない能力を身につけてください。
それだけ多大なる貢献ができる人物は企業が放っておきませんから高い報酬で雇ってくれるでしょう。
そこには景気は関係ありません。
500万円の収益しか生み出せない能力の人物は、会社は500万円以上の給料を支払えば赤字ですから、それ以下でしか雇ってくれません。
逆に2000万円以上の収益を生み出せる能力を持つ人物は、会社は1000万円の給料を払ってもさらに利益が出ますから、その給料でも雇ってくれます。
そういうお話です。
ヒマなときにテレビをゴロゴロ見ていても能力はあがりません。高い報酬をもらう人物は、他人がゴロゴロしている間に努力をしているのです。
給料が安いと嘆いている人は、それまでの人生の努力が足りなかった代償です。
自分自身を振り返ってみて、無能な高学歴になってしまっていませんか?
あ、ちなみに、高学歴で、かつ、その後の努力もすごい人もたくさんいますので、そこはお間違えなく。
ボクは高学歴を否定しているわけではなく、
学歴がその人の能力を測る物差しにはならないんですよと言っているだけです。