非天マザー by B-CHAN

iPhoneの使い方、IT、ビジネス、金融、経済、不動産、保険、音楽、映画、ニュース、自己啓発その他。

メールの時代になって

時代が変われば手段も変わる

さっき書いたエントリーとも関係あるかもしれません。
ボクは6年ほど前に右腕を骨折しました。
年末の夜中で、大勢でカラオケで盛り上がっていて、どこからともなく腕相撲大会になって、運悪く、それで骨折しました。
あまりにも激しい骨折で、全治1年、しかも後遺症が残りました。
さて、年末だったので、例年どおりCGを駆使して凝った年賀状を制作し始めていたんですが、骨折により中断。
その年越しは誰にも年賀状を出しませんでした。
と言っても、正確には、今までの紙の年賀状を出さなかったという意味です。
だいたいいつも、200人ほどに出していたので、ものすごく制作時間(企画・構想から最後の宛名印刷・投函まで)がかかっていたのですが、それがなくなると、ものすごく負担が軽くなりました。
そして代わりに、メールで年賀状を出すことにしました。
それをきっかけにボクは翌年以降も紙での年賀状をやめて、すべてメールで年賀状を送っています。
よく、
紙の年賀状じゃないと風情がない
という意見も聞かれますが、
そもそも年賀はがきという習慣も人間の歴史の中で見れば、ほんの最近始まったことで、別にそれが伝統ある行事でも何でもないわけです。
何事も時代によって形を変えていくのが当たり前。
そう割り切って、年賀はがきをやめ、年賀メールを始めました。
制作時間とコストと郵便料金が圧倒的に軽くなったと共に、とてつもなく大きなメリットがもたらされました。
それは、人との交流です。
それまでは、なんとなく年に1回の年賀はがきを見て、ああ元気にしてるかな〜、なんて思ってそれっきりという人もいました。
でも、メールで送ったら、すぐに返事が返ってきます。するとまた、それに返信するんですよね。
そうやって、いろんな人とやりとりしているうちに、
じゃあいっしょにメシを食おう
ということになり、慌ただしくスケジュールが埋まっていきます。
これは年賀はがきではなかなか実現しなかったことです。
大事なことは、年賀という形式を取ることではなく、中身が伴うやりとりだと思うんですね、ボクは。
だから、風情があると言いつつほとんど中身が伴わなかった年賀はがきよりも、活発に交流につながる年賀メールのほうが、ずっと心の風情があると思っています。
今年の正月も、何人か久しぶりの友達とも会えましたし、そういう意味では良い時代だなーと感じます。