非天マザー by B-CHAN

iPhoneの使い方、IT、ビジネス、金融、経済、不動産、保険、音楽、映画、ニュース、自己啓発その他。

原発と命と相対評価と絶対評価と

相対と絶対


この前、Twitterでもちょこっと言ったんですけどね。
原発を無くすことは目的では無くて手段なんですよ。
そこを勘違いしないでくださいね。
脱原発、脱原発と今や脱原発が目的化してしまっている人も中にはいるんですが、脱原発はあくまでも目的では無く、命を守るための手段だと言うことです。
原発を無くすことで多くの命が救われるのなら、多くの命を救うという「目的」の為に脱原発という「手段」を使うわけです。
なぜこんなことを書くのか?
ボクはこのブログで、地震直後から「原発は危険」と書いています。


国や公的機関は必ずしも役に立たないので、最終判断は自分で


しかし原発が危険というのは絶対評価であって相対評価ではありません。
絶対評価と相対評価の区別の重要性も、ここでずっと言い続けています。
例えばこれ。


ネットショッピングのリスクと店に買いに行くリスク


つまりネットショッピングには絶対的なリスクがあるけれども、相対的にはネットショッピングよりも危険なものもあるということです。
ネットショッピングが危険だからと言ってネットショッピングを避けてリアルショッピングを選ぶとかえって危険だったという話です。
原発も同じ視点が必要です。
原発は危険です。これは間違いないです。でも、原発「だけ」が危険なのでは無いのです。
原発が危険だからと言う部分だけを見て視野を狭めて、原発を避ける選択をすると、例えば電力不足などで、かえって死者の数が増えてしまった、では何の意味もありません。
それならば原発を残した方が安全だしマシなわけです。
もう一度言います。一番大事なのは「命を救う」という「目的」です。
手段が目的化してしまうと、視野が狭まり、場合によってはかえって危険が高まるかもしれません。
原発が嫌いだから原発を無くせ、という好き嫌いで判断してはいけません。
原発が存続した場合と、原発を無くした場合に、どちらがどれだけリスクが高まるのか、できるだけ正確な情報開示を求め、きちんと理論的に判断すべきです。
命を守ることが何よりも大事なんです。
なので、きちんと客観的に判断して、脱原発のほうが「相対的に」安全なら、強力に脱原発を推進すべきであり、原発を残したほうが「相対的に」安全なら残すべきです。
それは盲目的に感情的に脱原発を推進するのとは全く意味が違います。
もし、この文章を読んで、ボクが原発支持などという感想を持たれたのなら、思いはまったく伝わっていません。
原発を支持するかしないかは手段にすぎなくて、それは正確な検証を経た上での結果論という話です。
世の中には危険なモノはたくさんあります。
でもそこで言う危険というのは絶対評価です。
絶対評価で危険だからと言う理由で無くしていけば、かえってリスクが増して、さらに相対的にリスクが増すこともあるということです。
最後にしつこく書いておきます。
一番大切なのは、
「命を救う」
ということです。


関連記事
東京電力1社独占では無く競争があった方が電力料金が安くなるというのは本当か
何が何でも震災対応が最優先というマスコミ的論調からそろそろ一歩進んで人間らしく考えて思いやりの手をさしのべてみませんか?
相対評価と絶対評価と血液型占いと法律(悪い国にしないための論理的思考シリーズ)