既存の慣習は赤の他人が作ったもの
皆さん、こんにちは。
正月2日目はいかがお過ごしですか?
雑煮、おせち料理を食べる人、初詣に行く人、年賀状の返事を書く人、正月のテレビ番組を見る人、旅行先で過ごす人、いろいろですかね。
ボクは思うんですが、こういう古くからある習慣って、人が自分で決めたわけじゃないんですよね。
昔の誰かが始めて、それを今の人たちが同じことをやっている、そんな感じです。
例えば、雑煮を食べるという習慣は、これを読んでいるあなたが始めたのでは無いと思います。
すでにそういう習慣があって、あなたがそれに乗っているだけなのでは無いでしょうか。
もしあなたが、正月には毎年プリン(ハヤシライスでも何でもいいです)を食べようと言い出しても、あなたの家族は耳を貸さないでしょう。
あなたの意見よりも昔からの習慣を優先しようとします。
ボクはどうもこれには違和感があって、自分の人生なのに、なぜ、自分で決めた生き方よりも、赤の他人の決めた生き方が優先されるんでしょう。
しかも、雑煮を食べること自体は、別に重要でも何でもありません。
ほとんどの人が、そこに疑問を持たず、ただ、そういうものだからと従っているだけ。
まさに既成概念の継続。
そして、一部の人が、そういう概念に疑問を持ち、新しいことを始めます。
これは別に雑煮の話ではありません。
生き方の話です。
まず世の中ありきで何も生み出さずに既存を受け入れる大勢の人になるか。
それとも、常に考え、疑問を持ち、自分で生み出したり改善する人になるか。
雑煮だって、別に人類が誕生した時から存在するわけではなくて、たかだかここ数百年の文化です。
それまで数千年数万年も、そんなものは無かったのですが、途中で新しもの好きの人が生み出した文化なんですよ。
皆さんは、いかがでしょうか。