非天マザー by B-CHAN

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昔の人は選択肢が多かったという話

パクリ

 
みなさん、こんにちは!
B-CHANです。
 
今日も20km歩きました。
これでこの5日間の歩行距離は100kmを超えました。
足がひどいことになってます。
水ぶくれが何重にも破れています。
豆がつぶれてカチカチ。
ホント痛いです。
 
それはさておき。
デザインのパクリ論争について。
 
ボクにはパクリの境界線がさっぱり理解できません。
例えば自動車。
ほとんどのクルマは、前にハンドル、ワイパー2本、アクセル、ブレーキ、前部座席と後部座席、4輪など、同じような形です。
これってパクリじゃないんですかね?
紙の本もほとんど同じ形。左右にパラパラめくる形ですよね。
飲料の瓶も、スマートフォンも、折りたたみ式携帯電話も。
テレビも、テーブルも自転車も。
ピザもカレーライスも。
世の中のほとんどのモノって、他のモノのパクリデザインですよね。
いったいどこからはダメなのか。
そしてダメというのはそもそも何なのか。
著作権を侵害してたらダメなのか。
著作権が切れていても似てたらダメなのか。
 

早く生まれるか遅く生まれるか

 
早く生まれた人が有利ですよね。
例えば何も参考にせずに頭の中で思いついたデザイン。
しかし50年前のAさんなら許されて、現代のBさんは許されないわけです。すでにAさんが作ってますから。例えBさんがそれを知らなくてもダメなわけです。
全く同じ才能の二人なのに、たまたま先の時代に生まれた人が褒められる。
こう言うのって形式主義ですよね。
 
後の時代に生まれるほど、既存のモノが多くなるので、新しいモノを生み出す余地は少なくなります。
 
今の人が自力でコンピュータを発明したとしても、それは画期的な大発明なはずなんですが、すでに存在するという理由で却下されます。
 
人間の脳なんて100年や1000年程度ではほとんど進化しないのに、後に生まれた人は、より高度なモノを生み出すことを求められます。
 
大変ですよね。
 
別にボクは特定のデザイナーの肩を持つつもりはないです。
ただ、この世の中に、全く他の何にも似せることなく日々暮らしてる人なんているんですかね。