非天マザー by B-CHAN

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お客様は神様では無いことを説明したい

お客様は神様

 

 

その昔、と言っても数十年前ですが、三波春夫と言う国民的歌手がいました。

その三波春夫が言ったフレーズ、

 

お客様は神様です。

 

は、日本人なら知らない人がいないほど有名になりました。

数十年経った今でも知っている人は多いでしょう。

 

この意味を単純に解釈して、

 

お客さん > 店員

 

のような上下関係だと思い込んでいる人が多いので、ボクが何とかして、それに反論してみたいと思います。

 

 

態度としての問題

 

 

もともと三波春夫は、歌手なので、神様に捧げる気持ちで精一杯に歌う意味合いで言ったようです。

ですが、世の中には、お客さんが店員より上の立場だとして、エラそうに振る舞う人が少なくありません。

エラそうにすること自体に問題があることは、すでに先日、別の記事で書きました。

 

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生きている以上、立場は刻々と変化します。

今日は相手がお客さんでも、明日は自分がお客さん、そんな可能性はいくらでもあります。

 

 

等価交換

 

 

経済学的に言えば、モノやサービスの売り買いは等価交換です。

 

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お菓子屋さんに行って100円でお菓子を買うことは、100円のお菓子と100円というおカネの交換に他なりません。

つまり、経済価値の同じモノを交換しただけです。

 

売値が高すぎると思えば、お客さんは買いません。損しますから。

売値が安すぎると思えば、店は売りません。損しますから。

 

なので、モノやサービスの売り買いは、双方にとって同じ経済価値の交換。

だから、どちらかがエラいと言うわけでも無いわけです。

 

 

付加価値

 

 

そして、ここからが面白い話なんですが、モノやサービスには付加価値が含まれます。

 

例えば、100円で仕入れた小麦を100円で売っても、儲かりません。

働いても儲からないのでは生活ができませんし、意味がありません。

そこで、例えば、パン屋さんは100円で仕入れた小麦を、おいしいパンに加工して売るわけです。

売値は120円か150円か、あるいは200円か。

とにかく仕入れより高く売って初めて意味があります。

 

この、元の仕入れ値よりも、高くなった部分を付加価値と言います。

付加価値は必ずしも、客観的な指標が無いのが面白いところです。

例えば、まったく同じ材料を使った飲食店でも、料理がおいしければ評判を呼び、高い価格で料理を出せますが、料理がまずければ安くしないと料理が売れません。

同じ商品を売るのでも、気配りのできる営業マンはたくさん売れ、多く稼げますが、雑な営業マンはあまり売れず、稼げません。

つまり、付加価値と言うのは、お客さんがどう感じるかと言う主観の部分が強く影響し、それは、売り手のアイデアやスキルにかかってきます。

 

一般のお客さんが誰でも、おいしい料理を作れるわけでもありません。

それぞれに存在する売り手が、「無形バリュー」を発揮するわけです。

 

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世の中には消費者は無数にいますが、逆に、無形バリューからの高付加価値品やサービスを生み出す人は少数です。

だから起業して10年で9割は倒産すると言われるんです。

 

そう思えば、一般のお客さんよりも、むしろ、モノやサービスを売り続ける人たちの方が、むしろボクには神様的存在です。

なにせ、それだけのことを実現しているわけですから。

 

考えてもみてくださいよ。

魚を1匹だけ食べたい場合。

もし、魚屋さんがいなければ、自分で海に釣りに行かなければならないんです。

時間もおカネもかかります。

それが、魚屋さんとそこまでに至る存在(漁師、問屋など)の知恵と工夫と行動によって、お客さんはわずかなコストで魚を手軽に買えるわけです。

ものすごい高バリューの提供をしているのが売り手の存在です。

そして、その事業が存続していると言うことは、その事業が必要とされていると言うことです。

 

以上のことを考えれば、ボクは、お客さんは神様では無いと思いますし、お客さんの方が立場が上とも思いません。

 

それでも、店の人たちがお客さんに丁寧に接する。

それは感謝の気持ちからですね。

だから、逆に自分が客の立場であっても、モノやサービスを継続的に提供してくれてありがとうと言う気持ちが大事なんですよ。

 

どちらが上・下では無く、お互いに感謝。

 

エラそうな態度をとったり、自分が気にくわないと言うだけで激怒したり、そんなことでは人々がハッピーになれる社会にはなりませんよ。

 

むしろ、常に、相手のこと、誰かのことを心配する社会の方がすばらしいと思いませんか?