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アクセルとブレーキを踏み間違える事故で運転手を批判しても意味が無い

アクセルとブレーキは似ている 

軽自動車

 

 

みなさん、こんにちは!

B-CHANです。

 

毎年、必ず何回か耳にするのが、

 

アクセルとブレーキを踏み間違えた!

 

という自動車事故のニュース。

止まろうとしてブレーキを踏んだつもりがアクセルだった。結果、自動車が暴走して他のクルマにぶつかったり店舗や住宅に突っ込んだり。

あ〜怖いですね〜。

 

そして、こういう事故が起こると必ずと言っていいほど聞こえてくるのが、運転手への批判。

いや、いいんですよ。

事故を起こした当事者なので批判は必要でしょう。

しかし、意味のない批判がけっこう多いんですよ。

 

その意味の無い批判の趣旨を一言で言うと、

 

「運転が下手。」

 

というモノです。

 

もちろんこれは間違いです。

でも、間違いだということに気付いていない人が多いから、こういう批判がわんさかと出てくるんですね。

 

すごーく当たり前のことですが、アクセルとブレーキを踏み間違えたことは、運転の上手さとはまったく関係がありません。

アクセルとブレーキを踏み間違えたことは単なるミスであり、ヒューマンエラーです。

フェデラーはテニスの歴史に名を残すほど超絶的なテニスの達人ですがミスはします。

アイルトン・セナも運転ミスはしたことがあります。

けん玉の世界チャンピオンでもミスはします。

どんな仕事のベテランでもミスはします。

弘法も筆を誤ります。

 

自動車のアクセルとブレーキを踏み間違えるような運転が下手な人は運転免許を剥奪すべきだ、という言い方は間違っているわけですね。

そういう批判をしている人のほうが、事故を起こした人よりも運転が下手な可能性があるわけですから。

 

当たり前のことですが、人間はミスをする生き物です。

絶対にミスをしない人はいません。

また、ミスをする場面を自分で選べる人もいません。

もし、それが可能なら、自動車にエアバッグもシートベルトも衝突防止装置も不要です。

 

「なんで、アクセルとブレーキなんか間違えるかなあ。」

 

と言う人もいるでしょう。

おそらく、アクセルとブレーキを踏み間違えた本人たちですら、自分がそういう事故を起こすまでは、そう思っていたかもしれません。

自分がアクセルとブレーキを踏み間違えることを確信できるのなら、そもそも怖くて自動車なんか運転する気になりませんからね。

運転したということは、自分はそんな人じゃないと思っていたわけです。

 

つまり、多くの人が自分はそんなことはしないと思っていながら、誰にでも可能性はあるんですよ、運転の上手下手は関係無く。

ボクにも可能性があり、これを読んでいるあなたにも可能性があります。

 

対症療法と原因療法

 

船底に穴が空いて、どんどん浸水している場面を想像してください。

船に乗っている人は、水をどんどん汲み出しています。

しかし、穴からはどんどん水が入ってきます。

 

このときにやるべきは何でしょうか。

水をひたすら汲み出すことでしょうか。

違いますよね。

穴をふさぐことですよね。

水を汲み出すことは対症療法。もちろんそれも必要ですが、根本的な原因療法、すなわち、穴をふさがない限り問題は解決しません。

 

腫瘍ができて痛むなら、痛み止め薬だけを飲んでいても仕方がありません。それは対症療法です。

必要なのは腫瘍を取り除くこと、つまり原因療法です。

 

アクセルとブレーキの踏み間違えも同じ。

その運転手を批判したり処罰するのは単なる対症療法。

それでは永遠に同様の事故は無くなりません。

大事なのは、アクセルとブレーキを踏み間違える原因を取り除くことです。原因治療です。

例えば、操作体系を変更するようなことです。

 

考えてみてください。

批判や処罰というのは、それを抑止できないと意味が無いですよね。

例えば、酔っ払い運転やスピード違反などは批判や処罰する価値があります。

なぜなら、酔っぱらい運転やスピード違反は、本人の意志で行うモノだからです。

だから、批判や処罰が待ち構えることで、抑止力が働くのです。

 

しかし、ミスは本人の意志では発生しません。

なので、ミスに対する批判や処罰は、何の抑止力にもならないのです。

処罰が待っているから、一生に一度もミスをしないでおこう、そう思っても無理です。

 

1万粒の大豆を一粒ずつ、右の皿から左の皿へ箸で移し替えることを想像してください。

もし罰則があったら、1回も失敗せずに移すことができるでしょうか。

無理です。

 

ミスを無くすのは永遠に不可能です。

もちろん一度ミスした人は二度と起こさないように慎重になるでしょう。しかし数々のアクセルとブレーキの踏み間違え事故は、同じドライバーが起こしているのではありません。本人は一回だけでしょうが、同じ種類の事故は様々なドライバーが起こすんです。

なので、ミスは無くなりません。

ミスというのは起こる前提で環境や社会制度を構築する必要があるんです。

 

世の中には正義感があり、その正義感から、悪を批判する精神が生まれます。

それは正しいことです。

 

しかし、残念ですが、その矛先を間違えている事例が存在するんですね。

それが上記の、

 

「アクセルとブレーキを踏み間違えるような奴は運転が下手くそだ。」

 

という批判。

ミスが本人の意志とは無関係に起こる以上、その批判に意味は無いですし、向ける矛先が間違っています。

 

そうそう、これを読んだからといって、事故を擁護するな!という、わけのわからない感想を持たないでくださいね。

 

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