パクリ
世の中の理不尽と言うか、いい加減さと言うか、テキトーと言うか、デタラメと言うか、そう言うのをまざまざと見せつけられる判決が出ました。
ボクもコメダ珈琲店は好きなので、何度も行ったことがあり、まあ似てる、とは思いました。
上記は地裁判決なので、今後の裁判で逆転する可能性もありますけど。
まあ、それよりも、ボクが日常的に思っているのが、
パクリの定義って何よ?
ってことなんですよね。
昔から、著作権侵害の問題、パクリ問題は続いていますが、最近はネットのおかげで、あっという間に世界のどこかから類似物が探し出されてしまいます。
こうなると、恐ろしくて、例えホントにパクリでは無くて自分で考えたモノであっても、発表することが躊躇されます。
例えば、上記のコメダ珈琲店とマサキ珈琲の建物のデザイン。
これって、どのレベルで判断してるんでしょう?
壁が垂直に立っていて、屋根が傾斜していて、と言う部分はどうなんでしょう?
そこもパクリだとみなされるんでしょうか?
だとしたら、世界中にある、壁が垂直に立っていて、屋根が傾斜している建物はすべてコメダ珈琲店をパクっていることになります。
いや、逆にコメダ珈琲店がそれらをパクっているとも言えます。
このコメダのニュースを念頭に世の中を見回してみてくださいよ。
例えば、スマートフォン。
iPhoneが登場して以降、世の中のスマートフォンのほぼすべては、縦長の長方形にアイコンが升目状に並ぶデザインになりました。
このパクリ感ってコメダのニュースを凌駕してると思いませんか?
他にも世の中のあらゆるモノがそうです。
傘はどうですか?
世の中のほとんどの傘って、中心に棒があって、布が放射状に広がるあのデザイン。
ほぼすべてパクリですよね。
時計もそうですね。
円盤の上に針がついていて、右回りに回るデザイン。
あるいはデジタル時計なら、数字が横並びのデザイン。
そうじゃない個性的なデザインの時計も世の中にはたくさんあるんですよ。
だから、円盤とかデジタル時計のあのデザインを採用している時計って、すべてパクリですよね。
ハンバーガーもそうです。
A社のハンバーガーもB社のハンバーガーもC社のハンバーガーも、丸いバンズに具材を挟むデザイン。
ホント、そっくりです。と言うか、最初の以外は全部、パクリでしょ。
書くのが面倒なので、具体的に書くのはこれくらいにしますが、他にも羅列しますよ。
- 自動車
- ペン
- テレビ
- トイレ
- 自転車
- 綿棒
- 本
- カレーライス
- セーター
- パソコン
- 洗剤
- その他、ほぼすべて
あ〜、もうこうやって書くのがむしろ意味が無いですよね。なにせ世の中のほとんどのモノが他のパクリなんですから。
もちろん著作物に関しては著作権期間が切れているモノがあり、それは著作権侵害を訴えることはできないんですが、それとこれとは別問題ですよね。
著作権期間が過ぎたらパクリは合法になります。
だから、誰でもパクれます。
しかし、だからと言ってそれは、「パクリでは無い」わけでは無いですよね。
あくまでも、合法的にパクったわけです。
上記のコメダ珈琲店のニュースで、マサキ珈琲に対し、みなさんはどう思いますか?
「パクリをする悪い店。」
と単純に思いますか?
20年ほど前に、ホンダがオデッセイと言う、それまでになじみの無いデザインのクルマを発売し大ヒットすると、トヨタがすかさずイプサムを出してヒットさせました。
この場合、トヨタは、
「パクリをする悪い会社。」
であり、本来はトヨタは法的に裁かれるべきだったんでしょうか。
音楽
ちょっと雑な言い方になりますが、今、世の中でメジャーな音楽は12の音階でできています。
もちろん音楽は自由なので、4分の1音階のような音を演奏するのは演奏者の自由ですし、作曲家はそんな音楽を作っても良いのです。
しかし、そう言うマイナージャンルの音楽はあまり売れない、と言うか、多くの人間の耳に心地よい音楽になりにくいんですよね。
だから、音楽家として、ある程度、売れて生活するためには、やはり12音階で作らざるを得なくなります。
そうしないといずれ音楽家は滅んでしまいます。
すると、12の音階とそのオクターブ違い、それから発音時間、それらの組み合わせによって作られる音楽の組み合わせって枯渇していくんですよ。
話を簡単にするために言うと、例えば世の中に、ドとレの音しか無いと仮定しましょう。
そうなると、誰かが、
- ドーレー
と言う音楽を作ってしまうと、2人目からは、その曲を作れなくなります。作るとパクリになりますから。
てことは、
- レードー
- ドッレッ
など、変化させていく必要があります。
「それだと無限にできるじゃん!」
と言う人がいるかもしれませんが、ちょっと待ってください。
音楽って、デタラメに音を並べても人間が心地よいと思えないんです。
どんなメロディーを作ってもすべて売れるのであれば問題ないんですが、実際は、心地よくないメロディーの曲は売れず、世の中に出てきません。
なので、必然的に、音階の組み合わせの数って限られるんです。無限じゃないんです。
考えてみてください。
現時点で世の中に70億人の人間がいて、その人たちが12音階を使って音楽を作ると、一人も似ることがなく、すべての人がまったく異なる音楽なんて作るのは不可能でしょう。
しかも、現時点だけではなく、過去の人も考慮しなきゃならないんです。
日本なら著作権期間は死後50年。つまり、50年前の世の中のすべての音楽のどれにも似てはいけないわけです。
そんなことって可能ですか?
限られた12音階で、売れるメロディーと言う制約の中で、膨大な数の音楽のどれにも似ていない音楽を作らないとパクリだと言われて非難される。
そんな世の中ですよ。
そして、仮に、2人の人が同じメロディーの曲を作ってしまったとしましょう。
その場合、早いもの勝ちなんですよ。
最初の人がたまたま100年前に生まれてその曲を作ってしまっていたら、たとえ、後の人がその曲を知らずに同じメロディーの曲を作ってしまうと、それだけでパクリだと言われてしまいます。
こうなると、実力ではなく、運ですよね。
同じ能力があっても、先に生まれた人がトクをするわけです。
不都合
パクリ問題、著作権問題に関しては、このように、厳密に考えていけば、非常に不都合なんですよ。
だから、あいまいです。
ボクがいつも言うように、世の中の多くの人はマスコミに動かされます。
上記のように、世の中にパクリなんて無限にあるんですが、たまたまニュースになったときだけ、
「あいつはパクった悪いヤツ!」
と騒ぐんですよね。
あなたはどうでしょうか?
あなたの人生に他人のパクリは一切ありませんか?
あなたがやっている仕事は、世の中に何百万社もある会社のどれとも異なりますか?