レールに沿った人生
ここ1週間、ネット上ではこの記事が大反響ですね。
レールに沿ったつまらない人生と言うフレーズは全然新しくも何とも無くて、昔からよくあるセリフです。
にも関わらず、いまここに来て、この記事が大反響。
まあとにかくあちこちで批判記事やら応援記事やらを見かけます。
まあ批判記事が多いですけどね。
他人が自分で決めた人生なんだから自己責任だし、いちいち批判する必要も無いと思いますが、まあそう言う世の中なんでしょう。
つまり、実はうらやましいと思っている人も多いと思うんですよ。
でも、自分はそんなレールから外れる人生を送る勇気は無い。
せっかく入った大企業だから辞めたらもったいない。
会社にしがみつかないとおカネを稼げない。
でも仕事はホントは辞めたくて仕方が無い。
でもできない。
自分にできないことを石田さんはやったので、ひがむ。
うん、まあわかります。
思えばボクの人生なんて、何とネガティブなことか。
小学校、中学校、高校と、ボクは全然スポーツマンじゃなくて、運動からは逃げてました。
小学校のときはドッジボールにハマったことはありますが、中学に入るともうダメ。
中学ではクラブ活動を選ばされるんですが、選ばされると言ってる時点で消極的でしょ?
で、多くの人気の運動系のクラブを横目に、ボクは消去法で吹奏楽部を選びましたよ。
吹奏楽が大好きで選んだのでは無く、運動ができないから仕方無く選んだんですね。
小学校の卒業記念でクラス全員で演奏をしたんですよ。
そのときの思い出が忘れられなくて、中学でも楽器の道を選びました。
と言うのは、カッコつけるための後付けの理由です。
高校は受験校でした。
1日に60分間の授業が7コマもある高校なんです。
午前に3コマしか入りきらなくて、午後から4コマですよ。
とにかく猛烈な進学校でした。
まあボクにとっては都合が良かったわけです。
クラブ活動もほとんど無かったので、学業成績が優秀な人間が尊重されたんです。
ボクはだいたいいつも学年で1位から10位あたりをウロウロしていたので、先生たちからはわりと丁重にされたんです。
熱血運動クラブに適応できないボクには都合の良い環境ですね。
で、受験に合格して大阪大学へ。
大学へ行って最初の半期で単位を落とすと言う経験をしました。
高校時代は上位にいたボクは大学での経験が信じられなかったんですが、要はそれが実力。
かろうじてギリギリで卒業です。
いちおう、親や周りの人たちには、ストレート入学ストレート卒業の体面を保てましたが、冷や汗でした。
クラブ活動らしいこともしませんでした。
大学四回生で就職活動をするわけですが、どんな会社が良いのかとか全然知らなかったですし興味もなかったですし、起業なんて夢にも思いませんでした。
当時好きだった女友達のさらに友達がとある銀行で働いていたので、たまたまその銀行を就職先に選びました。
しかし女友達とはそれ以上、仲良くなることはありませんでした。
ボクの就職に何の必然性も無くなったわけです。
特に大好きな仕事と言うわけでも無かったですし、営業なんて、人付き合いが苦手なボクにとっては一番遠いはずの業界でした。
でも結局、簡単にやめる勇気なんて無かったんです。
まあ数年、社会人をやってると、それなりに営業にも慣れますが、それでもバリバリの営業マンとは対照的なタイプでした。
会う人会う人から、コンピュータ系の人だと言われました。
そうこうして転勤を4回ほど繰り返した時に、結局、逃げるように銀行を辞めましたね。
で、何を血迷ったか、フルコミッションの外資系保険業界へ。
またも何も考えて無かったんです。
固定給が無いので、毎月のように新規契約を取り続けないと収入は無くなります。
そんな業界でもがいている4年目にボクは腕相撲で右腕を骨折しました。
全治1年の大ケガです。
フルコミッションの営業には致命傷ですね。
しかしボクには辞める口実ができました。
1年後、生まれ育った関西から逃げるように東京へ移り住みました。
不動産ファンドへ就職しましたが、どんな仕事かはまったく知りませんでした。
毎日のように深夜労働と言うか朝帰り。
1日に16時間働くのが当たり前の毎日でしたね。
不思議と体は平気でした。
でもやはり人間的では無いですよね。
そんな会社も3年目に倒産、完全に消滅しました。
思いもかけず不慣れな東京で失業。
リーマンショックと言う大不況なので再就職先もありません。
何とか仕事を見つけたらブラック企業。
それの繰り返しでした。
いまボクが働いている会社もブラックですが、それでも1年半ほど働いています。
次の会社が見つかれば移るかもしれませんが、年齢的にも困難かも知れません。
まあこのように、自分が絶対にこれをやりたい!と思ってやった進路なんて一度も選んだことが無いんですよ。
さっきの記事の石田さん。
彼は、レールに沿うのがイヤだから大学を辞めたと言っています。
つまり、何かをやりたいと言う強い気持ちでそちらに行ったのでは無く、何かから逃れるために行動した。
そう言う意味では若い頃のボクに似てるんですよね。
似てるだけに、必ず落とし穴が来ると思います。
ただし落とし穴は悪いモノではありません。
失敗を経験しない人の方がスキルは上がらないんです。
失敗をたくさん経験した人が強くなりますから。
とは言え、やはり、何かから逃れるために他を選ぶ人生では無く、絶対にこれがやりたいんからやる!と言う人生の方が良いのは間違いないです。
石田さんは、もし仮に、大学が楽しくて充実して有意義だったとしても、今の起業の道を選んだでしょうか。
そうで無いのなら、今の起業は天職で無い可能性が高いです。
消極的にブログを始めた
ボクは今、こうやってブログを書いて稼いでいます。
アクセス数でもおそらく上位0.5%くらいには入っているでしょう。
つまりこの分野では成功組のひとりと言えるかも知れません。
でもボクがブログを始めたきっかけは失業です。
失業のリスクと再就職できないリスクがある以上、サラリーマンとしての収入以外に稼ぐ必要があったわけです。
かと言って不慣れな土地で腕の後遺症を抱えながら、しかも倒産なので、起業の準備もせずにいきなり失業して、その状態で起業で成功する自信なんてとても無かったわけです。
だから仕方無くブログを始めたんですね。
ほら、これまたネガティブな要因。
できれば、石田さんに限らず、世の中の人たちには、ボク生き方をお手本にして、それと逆をやってほしいモノだと願わずにはいられません。