脳のコントロールは自分では難しい
ボクはたまに書くことがあります。
ウサイン・ボルトの10倍練習しても、ボクは、ウサイン・ボルトより速く走ることができるようにはなりません。
人は、努力で向上する能力と、生まれつき持って生まれた能力の両方を持っています。
これは、肉体のすべてに当てはまることであり、脳もまた、例外ではありません。
死刑
この7月に、オウム真理教事件の死刑囚たちが13人、死刑執行されました。
彼らが起こした犯罪は、歴史上、まれに見る凶悪なモノで許せないコトです。
彼らがこの世から去った後も、一生、苦しみ続ける被害者はたくさんいます。
そのことを忘れてはいけません。
一方で、ボクが恐ろしさを感じたのが、マインドコントロールです。
今回の死刑囚たちの多くは、元はいわゆるエリートと呼ばれるような人たち。
オウム真理教に入信しなければ、その高い能力を、もしかしたら世の役に立てていたかもしれません。
ボクが以前に書いた、この記事。
信仰心の無いボクの目から見れば、信者の行動は異様です。
しかし、例えば、テレビなどでも、霊現象をまともに取り扱うこともあるように、人は、それが実在してもしなくても、信じるときは信じるのです。
自分の思考を自分から否定するのは、実はとても難しいことなんです。
自己否定。
元々、善良な人間であったとしても、何らかのマインドコントロールを受けて、信じてしまうと、それを元に戻すのは本人のチカラでは困難です。
当然ですが、オウム真理教は、最初から、殺人をする人を募集中!として信者を集めたわけではありません。
この国では信仰の自由は保障されているので、キリスト教でもイスラム教でも仏教でもオウム真理教でも信仰は自由です。
実際、キリスト教でもイスラム教でも、宗教による戦争は歴史上で珍しいことではありません。
信仰によって、心がコントロールされ、やっている本人は悪事と認識せず、むしろ正義のために、人を殺すようになるのです。
こんなふうに考えてみてください。
あなたが、ある歌手の熱狂的なファンで、何度もライブに足を運んだ。
すると、そのライブの中でだんだんとマインドコントロールされ、いつの間にか、あなた自身が毒物をまき散らすようになっていた。
何せ熱狂的なファンなので、ファンゆえに信じる。
善悪の判断も付かないくらい熱狂する。
もちろん、悪を行うためにその歌手のファンになったのでは無い。
しかし、結果として、そうなっていた。
恐ろしい話ですよね。
今回のオウムの死刑囚たちも恐らく、入信した頃は、まさか自分たちが人の命を奪ったり死刑になるなんて、想像すらしていなかったでしょう。
むしろ見ていた世界は幸せでいっぱいだったはずなんですよね。
そのために宗教を信仰するんですから。
マインドコントロールされて死刑になった死刑囚は悲劇だとも言えます。
例えば、AさんがBさんを殺したいとしましょう。
もし、AさんがBさんを直接、殺してしまえば、Aさんは逮捕され、刑罰が下ります。
そこで、AさんはBさんをマインドコントロールするのです。
すると、Bさんが一般市民に対して犯罪を起こす。
そして、Bさんは死刑になる。
そうです。
Aさんは、Bさんを合法的に殺せてしまうのです。
これがマインドコントロールの怖さ。
だから、オウムの件も、首謀者の罪は重く、信者の罪は微妙な位置にあります。
繰り返しますが、行った行為自体は凶悪で許しようがありません。
しかし、人を罰することと罪を罰することの違いを意識すると、彼らは、歌手の熱狂的なファンと同じで、人物としての問題とはなかなか言えないとボクは思うんですよね。
これを読んでいる善良なあなたも、誰かにマインドコントロールされれば、あなたの意思に反して殺人を犯し、あなたが死刑になる。
ホントに悪い人は、別に入信しなくても、自分の意思で犯罪を犯す。
しかし今回の場合は入信したことで犯罪に誘導された。
逆に言えば、脱会させれば、犯罪への道から救うことができたかもしれない。
そうすれば、彼ら自身の命も、そして大勢の被害者の命も救うことができた。
死刑を執行することで、結局、何ひとつ解決はしていません。
闇に葬り去られただけです。
そのことは、つまり、今後いずれ、同様の事件が起こることを示唆しています。
首謀者の死刑と、マインドコントロールされた信者の死刑。
それらは全く別に扱うべきでは無かったのかな、そう思っているところです。
多くの謎を解明し、今後、二度とこのような事件が起こらないためにも。