道具ではなく人間に原因がある
今年最初のブログ記事です。
みなさんあけましておめでとうございます。
新年最初の記事はスマートフォンの静音カメラについて書いてみますね。
日本では携帯電話のカメラはシャッターを切ると大きな音が鳴るように設定されています。
もちろん盗撮防止のためです。
この、カメラの盗撮防止のための設定には賛否両論があり、常に議論の的となっています。
ここはボクのブログなのでボクの考え方を書いておきます。
ボクは、何らかの悪事の原因を道具に求めるのは基本的に反対です。
その理由をきちんと書きます。
例えば、包丁という道具を考えてください。
包丁の目的は調理です。
しかし間違った使い方をすれば人を傷つけることができます。犯罪にも使えます。
ではそういった間違った使用目的を防止するために、包丁の刃の部分を切れなくしても良いでしょうか。
もちろん否ですね。
包丁を犯罪に使ったからと言って包丁が悪いわけではありません。
包丁を間違った使い方をする人間が悪いわけです。
だから法律では間違った使い方(人を傷つける)をすることは当然規制されていますが包丁の刃を切れなくするような規制は当然行われていません。
道具側に規制を掛けるのでは無く使用方法に規制を掛け違反すれば罰則を設けています。
道具である包丁の切れ味に規制を掛けてしまえば弊害が出るのは明らかです。
自動車も同様です。
毎年交通事故で数千人が死亡し数十万人が怪我をしています。
そういう意味では自動車は凶悪な凶器だとも言えます。
しかしだからといって自動車の速度が時速30km以下しか出ないように規制されたりはしませんよね。
これほどの危険な道具でも普通に店で売られていて誰でも買うことができます。
自動車の目的は運搬であり、交通事故というのは交通ルール違反から生じるモノだからです。
つまり道具に制限を掛けるのでは無く使用方法に制限を掛け、違反すれば罰則を設ける。
同じ事ですよね。
もし、危ないからと言う理由で、包丁の切れ味や自動車の性能機能に規制を掛けてしまえば、本来正しい使い方をしている人たちの便益を大幅に下げることになりかねず、もっと言えばその道具の存在価値すら無くしかねません。
携帯電話のカメラも同じだと考えます。
正しい使い方をすれば、いつでもどこでも撮影し、通信機能を使って他の人にも簡単に写真を見せることができる非常に便利な道具である携帯電話のカメラ。
シャッター音が鳴らなければ眠っている子供の顔を起こさずに撮影できたり動物に気づかれずに撮影できたり料理店で他のお客さんに気を遣わずに撮影できたりして道具として使えるフィールドは増えるはずです。
しかし、正しくない使い方をすることを防止するためにあらかじめ道具に規制(カメラのシャッター音)を掛けてしまうと、本来の正しい使い方をする人たちの便益までを損ねてしまいます。
盗撮は迷惑行為であり犯罪行為ですから決して許されません。
なので盗撮行為に対しての規制は掛けるべきですし罰則もしっかり設けるのも当然です。
しかし制度の側では無く道具の側に規制を掛けてしまうと便益が失われます。
悪い人のせいで悪くない人が犠牲になるわけです。
なのでボクは携帯電話のカメラのシャッター音強制には反対です。
それでもどうしてもカメラのシャッター音が必要だというのであれば、盗撮よりもはるかに危険な(命に関わる)包丁の切れ味や自動車の速度にも当然に規制を掛けないとつじつまが合わないと思います。
ボクはラーメン屋さんでiPhoneを使ってラーメンの写真を撮り感想文を含めてその場でEvernoteにアップロードしてデータベースを作るのが趣味ですが、他のお客さんに気を遣わずに写真を撮るのに苦労をする場面が多いです。
それなら携帯電話ではなく普通のカメラを使えばいいじゃないか、と言われるかも知れませんが、普通のカメラで撮影してからEvernoteにアップロードするにはかなりの手間となり、せっかくのスマートフォンの利便性が犠牲になります。
また普通のカメラでは消音ができるのに携帯電話のカメラでは消音ができないのも盗撮防止という意味では整合性がとれていないと思います。
こういう文章を書くと必ずと言っていいほど、ボクに対して盗撮肯定と言いがかりを付ける人も出てくるでしょうけど、そういう人はもういちど読んで論理的に反論をお願いします。
この文章では明確に盗撮を否定していますよね。
「道具」を規制して大多数の正しい人たちの便益を犠牲にするのでは無く「行為」を規制して罰則をきちんと設ける。
これが重要なポイントだと思っています。
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