保険
銀行、保険、不動産業界経験者でFPのB-CHANです。こんにちは。
生命保険や医療保険に加入すべきかどうかの話で、若い年齢の人は高齢者と比べて亡くなる確率は非常に低いので、若いうちから保険に入る必要は無いんですよ、なんて書き方をする人がいます。
解せないですね。
そもそも保険事故なんてどれも発生確率は低いんです。
問題は発生確率の高さでは無くて、発生したときの保障なんです。
例えば、自動車保険なんてわかりやすいですよね。
自動車事故なんてめったに起こさないから、無保険で走ろう、なんてリスクが大きすぎます。
起こるかどうかよりも、万が一発生した時に取り返しが付かないコトになるのを避けるために保険に加入するのです。
起こる前提
世の中には、色んな事故があり、その犠牲になる人がたくさんいます。
それを確実に防げる人なんて存在しません。
ボクがこれを書いた翌日に、何らかの事故であの世へ逝く可能性もあります。
それでも、被害を回避する努力をするコトは可能です。
基本的かつ大切な考え方は、
起こるかどうかよりも起こったときの被害の大きさを考える
なんですよ。
観光名所となっている大きな滝を背景にして自分の顔写真を撮ろうとしてフェンスに腰掛けて誤って落下し、死亡した人がいます。
この人は、自分の意思で落下したわけではありません。
あくまでもミスです。
そして、このミスは、めったに起こりません。
当然、この人も、普通に写真を撮って次の場所に移動するつもりであり、まさか5分後には自分がこの世にいないなんて想像もしなかったでしょう。
そこが盲点です。
大切なのは、フェンスに腰掛けると言う行為の結果です。
- 無事に終わる
- 落下する
の2パターンの結果があり、後者の確率は非常に低いのです。
しかし、さっきも書いたように、確率は問題ではありません。
問題は、起こった時の結果です。
後者が起こった場合、死にます。
つまり、発生確率とは関係無く、起こった場合に死ぬ行動は避けるべきなのです。
なぜなら、確率は自分でコントロールできないからです。
滝に落ちた人も、自分の意思とは無関係に落ちて命を失いました。
日常生活で何か行動をする場合、確率は無視して、起こりうるあらゆるパターンを考えましょう。
例えば、学生が教室の窓ガラスの拭き掃除をする場合、ガラスの外側を拭くには、窓の外に身体を乗り出す必要がありますよね。
すると、確率を無視すれば、
- 無事に拭き終わる
- 落下する
のいずれかです。そして後者の場合は、命を失います。
つまり、確率とは関係無く、この行為、窓から身を乗り出してガラスを拭く行為はやってはいけないのです。
実際に、それで落下して無くなった生徒がいます。
めったに無いコトですが、1度でも起これば、二度と命は返って来ないのです。
学校関係者は、間違っても生徒にやらせては行けないですし、やるように指導した教師は殺人幇助か何かの罪に問われるべきです。
歩行者は自分の身を守る必要がある
交通事故のニュースが多いです。
ほとんど毎日、どこかで起こっています。
年間3000人以上亡くなるわけですから、1日に10人。
交通事故死が無い日なんて無いと考えるべきでしょう。
事故の場合、責任論が活発となりますが、被害者にとってはほとんど無意味な議論です。
亡くなった本人には関係が無いですし、責任を取らせても命は戻りません。
大切なのは、誰が悪いのかとは別に、各自が命を守るコトです。
この写真を見てください。
ボクが歩行者として歩道にいて、向こうから来るバスを撮影したモノです。
バスは右カーブに差し掛かっています。
通常なら、バスは1番の方向に向かいますし、ほとんどの人は、それが当然だと考えるでしょう。
しかし、何らかの理由で運転を誤って、カーブを曲がりきれずに2番に来たらどうなるでしょうか。
そうです。ボクが死にます。
バスに衝突されたら、骨が飛び出し、内蔵も飛び出し、地獄のような苦しみを味わいながら死にます。
嫌です。
だからボクは、このケースでは、いつも3番の場所にあらかじめ避けるようにします。
さっき書いたように、2番に来る確率は関係ありません。
大切なのは、起こった時にどうなるかです。
- 1番に来る
- 2番に来る
後者の場合は、ボクが死にます。
つまり、確率に関わらず、2番に来た時のコトを考え、ボクはあらかじめ3番に避難するわけです。
この写真は重要です。
なぜなら、
- 日常生活で非常に多い場面
- 2番に来たら命を落とす
この両方を満たしているからです。
2番に来た場合、もちろん悪いのは運転手ですし責任も運転手です。
でも書きましたよね。
誰が悪いかは、被害者にとっては関係無いのです。誰が悪くても死ぬのはこっちですから。
責任のコトを考える前に、命を守るコトを考える方が大切です。
もし、この場面で、ボクがスマートフォンの画面を見ていたら。
バスが突っ込んで来ても気付かず、地獄の激痛と共に死ぬでしょう。
それだけの苦痛を甘受するだけの価値がスマートフォンにありますか?
ボクは無いと思います。
実際、交通事故で無くなった人のうち、かなり多くの人が、死なずに済んだコトでしょう。
世の中のすべての運転手が絶対安全確実な運転をしてくれれば問題は無いんですが、残念ながら、そんな世界ではありません。
だから、こっちが身を守るしか無いのです。
現実問題として、毎年、数十万件の交通事故が起こり、3000人以上が亡くなり、生き残った人も、寝たきりや車イスなどの後遺症で残りの人生を過ごします。
にも関わらず、歩きスマホする多くの人たち。そんなに死にたいのでしょうか。
まさか、この街でこんな事故が起こるとは。
まさか、あの人がこんな事故と起こすとは。
よく聞くこれらのセリフは間違っています。
起こるコトを前提に行動しなければ、助かる命も助けられません。
例え、0.01%の確率であっても、それが起こった時に命を落とすのなら、それを避ける行動が必要なのです。
過去の記事もぜひ読んでください。