内面と外面
みなさん、こんにちは!
B-CHANです。
昨日は、7つの習慣のうち、関心の輪と影響の輪について書いてみました。
今回も7つの習慣の話をしますが、実は今回の話は、7つの習慣を読む前からボクも思っていたことです。
人間にとってホントにホントに大切な話です。
こんな話を思い浮かべてください。
「私が彼と結婚したのはゴルフという共通の趣味があったからです。」
まあこの事例は極端かもしれませんが、こういう話ってわりとよくあると思うんですよ。
●●というスポーツが自分たちの愛を結びつけてくれた。
●●は別にスポーツじゃなくても何でも良いです。
ピアノでも料理でも。
でも、よく考えてみてください。
ゴルフという共通の趣味によって相手を選んだのなら、1000年前に生まれていたら、二人は結びついていなかっということになります。
だって、1000年前にはゴルフは無かったんですから。
実はこの話、相手の人間というより、ゴルフが主役になってしまってるんですよね。
もしかしたら他の人でもゴルフをしているなら結びついた可能性もありますし。
ボクは以前からこのタイプの話に疑問を持っていました。
どこにも人間の心が出てきませんから。
ボクはこのブログで何度も書いてきましたが、人間も物事も外面よりも中身が大切です。
良ければブログの検索欄で、「中身」あるいは「外面」で検索してみてください。
人間で言えば、外面というのは、どの家系とか、どの会社に勤めてるとか、年収とか、どんなスポーツをするかとか、どんな肩書かとか、そういう見える要素なんです。
一方で内面といえば、もちろん内臓のことではなく、
心
です。
不変かつ普遍
ここで7つの習慣に書かれていることを言います。
それは、大切なのは不変かつ普遍なことであるということです。
不変というのは時間が経っても変わらないモノ。
普遍というのは場所が異なっても変わらないモノ。
例えば、手に持ったリンゴを話せば落ちます。
これは昔も今も将来も変わらないですし、どの場所でも同じです。
こういうのを原則と言います。
ゴルフであれテニスであれ、そういった外面的なものはあくまでも人間が人為的に作ったものなので、不変でもなく普遍でもないです。
変化します。
さっき書いたように1000年前には無かったです。
しかし、心はどうでしょう。
1000年前でも優しい心は大切でしたし、1000年後でも大切です。
世界中のどこにおいても大切です。
不変かつ普遍です。
つまり、人間の内面すなわち心の大切さは原則なんです。
そういう原則を貫く事こそが、人間として大切なんです。
心よりも外面を優先してしまったらどうなるでしょう。
最初はそれで良くても飽きるでしょう。
世の中の離婚の多さを見てくださいよ。
多くの人は心よりも、相手の年収や家柄、安定した地位、共通の趣味や価値観などを優先します。
まずそういった条件で選別してから、それ以降に心が来るわけです。
当たり前ですが、そんな「基準」で相手を選んで幸せになるはず無いじゃないですか。
そうではなくて、相手が幸せになってくれれば、それこそ自分が嬉しいと感じることができる。
そういう心に感動できるつながり、結びつきを得ることができれば、そこに感動の人生がやってきますよ。
ゴルフでもテニスでもピアノでもおカネでも地位でも何でも、すべて、人間とは無関係です。人間に付いているだけの付随物です。
外面的な付随物を愛するか。
それとも内面的な心を愛するか。
人生の最後に振り返った時に、どちらが感動的だったか、言わなくても明らかです。