人間の仕事
人間は単なる動物の一種類です。
他の動物と大きく違うのは、学習したことを記録して他者や後世に残せることです。
1000年程度では人間はそんなに進化しません。
平安時代の人と現代の人とで、肉体的な特徴はほとんど同じです。
しかし、平安時代の社会と現代社会とでは雲泥の差があります。
人間の生存に時間以外のコストがかかるのは食事です。
食事を得るには、おカネを払うか、別のモノと交換するか、そんなコストがかかります。
その源泉を手に入れるために、人は働きます。
人の働きには、大ざっぱに言えば、
- 頭脳労働
- 肉体労働
がありますが、これらは明確に区別されることもあれば混在することもあります。
例えば、プロスポーツ選手は肉体労働の代表ではありますが、ほとんどのスポーツでは勝つためには頭脳が必要であり、頭脳労働でもあるわけです。
あとは程度の問題です。
例えば将棋のプロ棋士は、頭脳労働の最たるモノで、対局中は座っていることが多いですが、だからと言って肉体を使わないわけではありません。
駒を移動させるのに手を使います。
少しでも筋肉を動かす以上、それはスポーツとも言えます。
労働は奪われ続けてきた
AIが人間の労働を奪うと言われています。
上記のように、ほとんどすべての労働は頭脳労働と肉体労働を兼ねていると言うことは、AIが人間の労働を奪うと言うのは、AIが頭脳と肉体の両方を駆使することになります。
AIそのものは頭脳部分ですが、それを使って従来の機械をより人間らしく操作できるようになれば、それは肉体労働をもカバーするわけです。
歴史的に考えれば、今さらの話です。
大昔から、人間は文明の発達と共に労働を奪われてきたんですから。
原始的な時代に、遠距離の人にモノを届ける場合、おそらく人間が自分の足で歩くなり走って届けていたんでしょう。
そのうち、人間が動物を使うようになってからは、移動の役割は主に馬に譲りました。
この時点ですでに、移動と言う人間の労働は馬に奪われたわけです。
その後、自動車の発明によって、馬もまた労働を奪われたんですが。
そうやって長い歴史の中で、肉体的な労働は機械の発達によって人間から離れていきました。
そして、今度は、AIつまり頭脳労働の番。
現時点ではまだ移動という労働は自動車が担いますが、それを操るのは人間です。
つまり、まだ、移動のためには人間が頭脳労働かつ肉体労働をしています。
AIが進化すれば、運転も自動化、つまり、移動に関しては、人間の労働は、そこで完全に無くなります。
では、労働を奪われた人間の存在価値は?
ここで最初に書いた話に戻るわけです。
モノを届けるという労働によっておカネと言う対価を得るとします。
昔は人間が足で歩いてモノを届けて対価をもらっていました。
今は人間が自動車を運転してモノを届けて対価をもらっています。
目的はあくまでもモノを届けると言うことです。
そのための手段が移動方法です。
つまり、労働は、多くの場合、目的では無く手段にすぎません。
労働の依頼主にしてみれば、同じ速さで同じモノが同じ距離を無事に届けられるのであれば、馬でも自動車でも問題はありません。
目的が達成されれば報酬を支払います。
と言うことは、AIによる自動運転車が実現されれば、自動運転車によってモノが無事に届けられることに対して、依頼主は報酬を支払います。
仕事を受けて自動運転車にやらせて報酬を受け取る、そんな人が登場するでしょう。
依頼主の支払いも従来どおり。
受託者の稼ぎも従来どおり。
むしろ受託者にしてみれば、自分が動かなくて済む分、労働時間が減ります。
労働時間が減った上で、稼ぎ、つまり労働の目的は達成されます。
これって、ブラック労働の解消ですよね。
つまり、AIの究極の進化=人間化は人間にとってはメリットなんです。
会社オーナーが従業員たちを使って稼ぐように、人間がAIを使って稼ぐようになるだけです。
AIが進化しすぎて人間に反乱を起こす?
歴史を見ましょう。
すでに反乱や戦争を起こした人間がたくさんいるじゃ無いですか。
それがAIに置き換わるだけ。
本質は何も変わりませんよ。