雇い止め
新型コロナウイルスの影響による解雇・雇い止めが8万人に迫っているそうです。
雇われる側としては失業するコトになるので、悪い面ばかりが目立ちます。
ただ、そんな中で、ボクは別の一面も持っています。
解雇しやすい世界
日本では、一度雇った人を解雇するのは非常に難しいです。
犯罪を犯すとか、就業不能な理由などが必要です。
単に能力が低いと言う理由では解雇できませんし、雇う側の業績が悪いコトも解雇の理由にはなりません。
つまり、日本では、いったん就職してしまえば、よほどのコトが無い限り解雇されるコトは無いのです。
労働を守るために当然だろ、と言う声が聞こえてきそうですが、これには良い面と悪い面があります。
良い面は、安心して働けると言う点です。
悪い面は、能力採用が難しくなる点です。
例えば、Aさんはある企業で働いていた非常に有能な人材ですが、その企業が倒産し、失業してしまいました。
そこでB社に転職したいと思っており、B社の社長もAさんをよく知っていて採用したいと考えています。
ところがB社にはCさんと言う、怠けていて、とても能力が低い社員がいます。
でもCさんを解雇できないので、給料を払い続ける必要があります。
B社としては、無能なCさんを解雇して、その資金でAさんを雇いたいのですが、それができないのです。
結果として、無能なCさんは仕事に就け、有能なAさんが仕事に就けない事態が起こるわけです。
能力で公平に評価される社会なら良いんですが、この事例だと単なる運で決まるんですよね。
もし、解雇を自由にしやすい社会なら、きちんと能力が評価されるので、公平になります。
解雇するからけしからん!と言うのは物事の一面だけしか見ていません。
ホントに公平で、努力する人が幸福になるためには、解雇しやすい社会の方が良いと言う一面もあるわけです。
もしB社にAさんが入社してくれれば、その活躍によって会社の業績が上がり、もしかしたら、他の社員の給料も上がって大勢がハッピーと言うコトになるかも知れません。
ところが解雇規制により、人材が流動的では無い世の中になり、機会を奪っているわけです。
物事を考えるときは、良い一面だけを見て支持するとか、悪い一面だけを見て非難するのでは無く、広い視野で考え、ホントに努力する人が報われるのか、あるいは、怠けていても既得権にしがみついている運の良いだけの人が報われてしまうのか、そこまで考える必要があると思います。
そうしないと、結果として、とても不幸な社会になります。
単に、解雇したからけしからん、では、視野が狭すぎます。