非天マザー by B-CHAN

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中古本を売るコト

読み終えたら売る

 

 

勝間和代さんが、面白い記事を書いていました。

 

katsumakazuyo.hatenablog.com

 

 

katsumakazuyo.hatenablog.com

 

 

要は、メルカリの青柳社長は、本を1,500円で買って読んで1,000円で売れば、実質的に500円で読めるコトになると言っているわけです。

で、勝間さんは、中古本は著者に印税が入らないので、フリーライダーを推奨するコトは著者への敬意が無いと言っているわけです。

 

世の中で売られるモノには商品とサービスがあります。

商品は、パンとかクルマとかの有形物であり、サービスとは、理容とか漫才のような無形物ですね。

書物と言うのは、特殊な位置づけです。

本を買う人の大部分は、本と言う物体が欲しいわけではありませんよね。

紙が数百枚綴られてひとつの塊になっている物体が欲しくて本を買う人はほとんどいません。

欲しいのは本と言う物体では無く、中身(コンテンツ)です。

 

だから、電子書籍と言う方式も成り立つわけです。

 

孫子の兵法は今から2000年以上も前の書物ですが、現在でもそれを読みたいと思う人はたくさんいます。

当時はもちろん電子書籍もありませんし、紙もありません。

孫子の兵法は竹簡に書かれています。

では、孫子の兵法を読みたい人は竹簡を手に入れたいかと言えば、そんな人はほとんどいなくて、手に入れたいのは、竹簡では無く、コンテンツです。

だから、電子書籍でも全然構わないわけです。

 

電子書籍が普及し始めてからも、やはり昔ながらの紙の質感が良いと言う意味で、紙の書籍を手に入れる人はたくさんいますが、紙の書籍が登場した時代には、紙なんかよりも、やはり昔ながらの竹簡が良いと思う人も多かったかもしれません。

時代は移り行くモノですから。

 

 

市場

 

 

パンは、10個手に入れるためには、10個作り出される必要があります。

でも、コンテンツとしての書籍は必ずしも必要な数だけ作り出す必要がありません。

 

ある小説が1万部出版されるためには、その小説を著者が1万回書く必要はありません。

書くのは1度だけ。

残りはすべてコピーです。

そうです。

コンテンツは、オリジナル以外はすべてコピーなのです。

それは紙であっても電子であっても。

紙とか電子と言う物体に価値があるのでは無く、知的財産に価値があるわけです。

にも関わらず、その知的財産が紙に印刷されるコトによって、物体として売買が可能になってしまいました。

それが古本です。

新品で売られる本と、古本として売られる本。

コンテンツはまったく同じなので、読むコトで得られる価値は同じです。

すると、同じ価値を得るのなら、できるだけ低コストでと考える人が一定数生まれるのは必然です。

だから中古本のマーケットが生まれました。

自動車の場合、新車と中古車とでは、性能が違います。

なので、歴史的な希少車を除いてほとんどの場合、新車は物体としての価値も高く、その分価格も高いです。

中古車は新車より品質が劣る分、価格も安くなります。

このことはほとんどすべての商品に当てはまります。

 

ところが、書籍に関しては、新品として売られても中古として売られてもコンテンツは同じ。

 

つまり、紙の質感にこだわる人を除いては、書籍は低価格で買うコトに合理性があります。

これが自動車などと異なる点です。

むしろ、商品は、新品だとしても、いったん買ってしまえば、その瞬間から中古なので、厳密に言えば、新品を所有すると言う表現は矛盾とも言えます。

購買する直前までが新品であり、買った瞬間に中古に変わるので、そう言う意味では、新品を所有するコトは不可能(あるいは買った瞬間のみ)と言えます。

 

ところが世の中には、新品信仰が根強くあり、だからこそ、経済が成り立つんですね。

所有した瞬間に中古に変わるコトにすべての人が気付いてしまえば、新品市場価格は大暴落しますから。

また、物体に関しては中古には程度問題があります。

中古と言っても、1年経過したモノと10年経過したモノとでは、経年劣化の度合いが異なります。

そう言う意味で、0年経過したと言う意味で新品プレミアム(価格)が成立します。

 

そこへ行けば、書籍は10年経過しても、2000年経過しても、コンテンツは同じです。

劣化するのは、それが記された竹や紙です。

 

コンテンツとは特殊です。

 

劣化しないのに、中古市場で買えば安く買える。

 

1万冊売れたベストセラーの小説があるとして、それがすべて新品なら、1万冊分の印税が著者に入ります。

しかし、5000冊しか売れなくて、それらすべてが中古市場に出回って、トータルで1万人が読めば、読んだ人の数は同じで、著者の印税は半分です。

 

そう考えると、書籍と言う知的財産を新品の本で買う人と言うのは経済学的には損をしていると言えるかもしれません。

 

ただ、市場(マーケット)はうまくできています。

すべての人が合理的に動くのであれば、書籍の新品市場は無くなっているはずです。

でも実際には、存在します。

つまり、すべての人が合理的に動くとは限らないわけですね。

新品でも中古でも得られるモノは同じだけれど、あえて高価な新品を選ぶ。

そう言う人が少なからず存在します。

それは誰かから命令されたわけでも法律で決まっているわけでも無く、自然にそうなっているのです。

人々が自然に行動した結果、成立するのがマーケットです。

 

それは、今まで、中古本市場が小さかったからなのかも知れません。

ニワトリが先か、の議論になりますが、もし、メルカリがもっと普及して、紙の書籍の中古市場が拡大すれば、必然的に新品で本を買うと言うマーケットが小さくなります。

マーケットが小さくなれば、参入者が減ります。

つまり、著者の数が、作品の数が減ります。

 

メルカリの利便性によって本と言う特殊な商品の中古市場が拡大すれば、それはメルカリに出品される(元)新品の本の数が減ってしまうわけです。

 

ただ、メルカリ自身にとってみれば、本はあくまでも商材の一部。

だから、青柳社長の発想も出てきます。

一方で著者にしてみれば、必然的に、減収の要因です。

勝間さんは、おカネの問題では無いと言っていますが、当然、著者によっては、いや、大多数の著者にとっては、おカネの大問題です。

中古本がいくら売れても、何の収入にもならないわけですから。

 

例えば、インターネットで他人のコンテンツをダウンロードして、承諾無く勝手に販売すれば、それは著作権法違反となります。

コンテンツは知的財産だからです。

一方で、ブックオフやメルカリのような、コンテンツの転売は、知的財産の転売にも関わらず合法です。

これはある意味、矛盾なんですよね。

つまり、ブックオフでもメルカリでも、本の転売は、知的財産の転売では無く、物体の転売として捉えられているわけです。

 

ここは、法律の矛盾ですよね。

 

とは言え、法律が改正されないのであれば、著作者も対策するしかありません。

昔、カメラはフィルムを使って撮影していましたが、今はデジタルカメラの時代。

フィルムを作っていた会社がいくら嘆いても時代は変化するのです。

いつまでもフィルムを売り続けていてもビジネスは継続できません。

 

ボクは、自分の著作をAmazonでKindleの電子書籍として販売しています。

紙の書籍としては売っていません。

Kindle電子書籍のみです。

よって、コピーも転売もできません。

中古の概念もありません。

10冊売れれば、それは確実に10冊分の印税になります。

20年前なら電子書籍と言う概念も持たなかったですが、今は電子書籍が珍しくありません。

マーケットは時代と共に変化します。

 

紙の書籍が合法的に転売されるのであれば、それへの対策を打つ必要がある。

そう言うコトだと思います。

 

勝間さんはフリーライダーのコトを書かれているので、そちらに論点を置きたかったのですが、長くなってしまったので、それはまた別の機会に。

 

転売と言うのは、悪い面だけがクローズアップされがちですが、良い面もたくさんあります。

倉庫で眠ったままで日の目を見なかったモノが世に出る可能性を生み出します。

 

転売論も別の機会に書いてみます。