目的と手段
みなさん、こんにちは!
B-CHANです。
鹿児島県の伊佐市の高校が実施している奨学金制度が話題になりましたね。
難関大学に合格した受験生は100万円もらえるのです。
こういう話を聞いた時に、なぜこの伊佐市はこういう施策をとるのかという理由を考える必要があります。
すごく当たり前のことですが、伊佐市の目的は、受験にカネという報奨を持ち込むことでうはありません。
目的は過疎化の解消です。
今回の施策は、その目的のための手段にすぎません。
目的と手段を取り違えないように。
尾木ママと言う人の勘違い
100万円をあげるという手段によって優秀な生徒が集まり、それによって過疎化の解消という目的が達成される、そういう思惑です。
それに対して、尾木ママと言う人が、ありがちな批判をしている、というわけですね。
で、その尾木ママという人のブログ記事を読んでみたんですが、結局、ダメな理由が具体的に全然書かれていません。単にダメだと言ってるだけなんですよね。
この人は、教育と学科勉強を混同しているんじゃないですか?
教育とは科目の勉強だけじゃないんですよ。
科目の勉強と人間性の形成の両方です。
人間性の形成に100万円を持ち込むのはボクも良くないと思うんですが、科目の勉強の結果に100万円を持ち込むのは何の問題も無いと思うんですよね。
うれしいじゃないですが、もらう方も。
何かを達成してほめてもらったりお祝いをもらったり。
それの何が悪いんでしょう。
繰り返しますが、教育の中の人間形成システムに100万円を持ち込むのはボクも反対ですが、単なる科目学習システムに100万円を持ち込むのはモチベーションのためにも大いに結構だと思いますよ。
伊佐市の過ち
一方で、伊佐市のこの手段も、目的を達成するためにはちょっとおかしいと思うんですよ。
例えば、難関大に合格しそうな学力レベルの生徒が100万円をもらうために伊佐市に引っ越してきてこの高校に転校し、見事合格して100万円をかっさらう。
はたしてそうでしょうか?
わざわざ引っ越してきて100万円もらっても合格したら、今度はその大学の地域へ去っていくわけです。伊佐市には難関大学は無いですから。
すると、引越しが2回。もうこのコストだけで100万円が吹き飛びそうです。
難関大学に合格する人たちの多くは、その後、高い収入を得る確率が高いんですよね、それが良いことかどうかは別にして。
そういう人たちが、たかだか100万円をもらうために、コストをかけて2回も引越しをするでしょうか。
あまり効果はなさそうです。
先生に100万円をあげるのが正しい
この話を聞いた時にボクは思いました。
合格した生徒じゃなくて先生に100万円あげればいいじゃん、と。まあ100万円じゃなくていいですが、とにかく先生たちがボーナスをもらえばいいんです。
先生は教育のプロ。おカネをもらうのが当然。これなら尾木ママと言う人も文句は無いでしょう。
教育の中の勉学という部分において目覚ましい成果を出したのならボーナスをあげたらいいじゃないですか。
先生たちもスキル向上を目指しますよ。
先生のスキルが上がって、その高校の受験合格率が上がったら、評判を聞きつけて生徒が集まってきますよ。
それこそが過疎の解消でしょ?
生徒に100万円をあげたらそれっきりで、過疎の解消にはならないですが、高校のレベルが上ったら継続性があるので、過疎の解消に繋がる可能性があります。
おカネは生徒にではなく、プロである先生にあげる。
これがボクの持論です。
裕福かどうかと受験の合格は関係無い
最近、裕福な家庭の子どもは難関大学の合格率が高い、なんて議論がありますが、たいした問題では無いです。それはあくまでも傾向の話ですから。
別に貧しいから合格しないというわけでも無いです。
ボクは裕福な家庭ではなかったですが、死ぬほど受験勉強しました。全国の受験生の中でもたぶんこれ以上無いくらい勉強しました。
小学校、中学校、高校と通じて、学習塾というモノに1回も行ったこともありません。あんなのおカネがかかりすぎますから。
当たり前のことですが、激烈に激烈に、日本中に自分より勉強しているヤツはいないと思えるくらい激烈に勉強したら能力は上がります。
家庭が裕福でなくてもあきらめずに、勉強してください。難関大学に合格したいと思う人は。