電車のドア付近
みなさん、こんにちは!
B-CHANです。
今日は電車の乗り降りに関するコラム。
混雑した電車が駅に到着した時に、降りる人と降りない人がいるわけです。
降りる人は当然、ドアから降りるわけなので、ドア付近に人がいると邪魔になります。
ボクは自分がドア付近にいるときには、いつも周りを見渡して、降りる人が多ければ邪魔にならないようにいったん電車の外に出て通路を開けます。
そして降りる人がみんな降りたのを確認してから再び電車に乗ります。
これって別に特別なことでもボクがすごいわけでも何でもなくて、ごく当たり前のことですよね。
なのになぜか意地でも降りずに電車のドア付近に立ち続けている人って多くないですか?
おかげで降りる人は身体を触れながら狭い隙間から降りる必要があり、とても面倒です。
なぜ、ああいう人たちって、意地を張っているかのようにドア付近にい続けるんでしょう?
邪魔になっていることに気付かないんでしょうか?
エレベーターでも同じですよね。
奥にいる人が降りるときには、自分がドア付近にいるなら、いったん降りてあげればオクの人はとても降りやすいです。
他の人に対する、こういうちょっとした親切心。
こういうのは一時的なモノではなく習慣的なことなんですよね。
つまり身に付いている人は習慣化しているので、いつもそういうことに気づくわけです。
優れた人間性が身に付いているわけです。
逆に邪魔なのにドア付近にい続ける人は、そういう性質が見に付いてしまっています。
なので、とっさの時にもなかなか気付かないんですよね。
普段からそういうことに慣れていないから。
テクニックではホントの人間関係は生まれない
世の中には人間関係のことを書いた本がたくさんあります。
人に好かれるためには笑顔の練習をしなさいとか、会話の時には相槌を打ちなさいとか。
そういうのを教えるマナー教室もあります。
はっきり言いますが、そんなのは無意味です。
外面的で薄っぺらいテクニックに過ぎません。
それで得られるのは表面的な人間関係だけですよ。
本質的な人間関係、つまり心から親しい間柄になるために必要なのは、心から親しい間柄になりたいと思わせる人間性です。
さっき書いたような他人への気遣い。
邪魔になるだろうから自ら進んで電車をいったん降りること。
でも勘違いしないでください。
電車を降りることが大事なのではないです。
大事なのは、そういう心遣いが24時間365日いつでもすぐに発揮できる人間性です。
つまり本質的にそういう人間性である必要があるんです。
そのためには表面的なテクニックを学んでも仕方ないんです。
根本的な考え方の改革が必要なんです。
自分の利益を優先する人には目先の利益しか入りません。
他人の利益を優先する人には多くの人からの尊敬を集め、結果として長期的な利益を得られます。
ビジネスにも当然当てはまります。
実はこの話も、ボクがこのブログで何度も書いている7つの習慣に書かれていることです。
7つの習慣、で検索して過去の記事も読んでみてください。ここに3つだけ載せておきます。