電信・電話
ボクたちが生きている、この世界は時間と空間でできています。
時空ですね。
昔は、時空を超えるコトはできませんでした。
例えば、手紙や伝書鳩で、物理的に情報を運搬していました。
三国志やキングダム、日本の歴史物語を読んでいてもわかりますが、情報の伝達には数日から数ヶ月かかります。
1800年代になって電信・電話が登場しました。
電信・電話は、離れたトコロにいる者どうしが同時に情報を共有できると言う点で、人類史上、初めて、時空の壁を破ったわけです。
昔は、世の中を支配するのは武力でした。それに知力。
つまり、戦略、戦術ですね。
しかし、核ミサイルなどの大量破壊兵器が行き渡った現在、武力は武器にならなくなりました。
なぜなら、使えば、それは人類の滅亡を意味するからです。
世の中を見渡してみれば、世界に君臨しているのは、GAFA。
- Apple
- Amazon
業態はそれぞれ違いますが、共通しているのは、IT(情報技術)を活用する企業だと言うコトです。
情報は武器
実は、武力による戦争であっても、情報は強大な武器になります。
だから、戦時の通信には暗号が使われますし、逆に、暗号を見破って勝利を掴むコトもあるわけです。
現在のように、事実上、兵器が使えない世界になってしまった今、最強の武器は情報技術なんですね。
だから、企業は情報を得るコトにチカラを注ぎますし、市民は個人情報を守ろうとするわけです。
ただ、情報とは何も、個人情報だけではありません。
辞書を引いてみればわかりますが、情報とは、内容や知識、資料などと書かれています。
いま、ネットで検索すれば多くの知識が得られるので、頭に知識を溜め込むコトは不必要と言われています。
ボクもそのとおりだと思います。
知識の詰め込みはもはや無意味。
しかし、勘違いしてはいけないのは、知識と知恵の違いですね。
知識は単なる内容、資料。
でも、知恵とは、それらを活かす思考力です。
例えば、Googleで検索すれば何でもわかるから、暗記なんて不要。
確かに一理ありますが、それは、Googleで検索すればなんでもわかる、と言う知恵を活用できるからですね。
そもそもGoogleで検索すれば解決すると言う知恵を持たない人は、知識の活用すらできないわけです。
恐竜脳と言う言葉を聞いたコト、ありますか?
世の中にはいろんな人がいますが、トライアンドエラーを繰り返して行動する人もいれば、現状維持の人もいます。
実際には、現状維持の人のほうが圧倒的に多いです。
変化を恐れ、慣れたモノを維持したい。
例えば、義務教育から高校、大学などを経て新卒で入社し、給料とボーナスをもらい、結婚してマイホームを買い、定年退職して年金をもらう。
日本では、昭和時代から数十年間、このパターンが続いてきました。
すると、多くの人は、この生活様式が当たり前だと思うようになり、それから外れるような生き方をする人を非難します。
例えば、学校に行かずにYouTubeで稼ぐ子供など。
実際に、地球の46億年の歴史で、46億年ずっと生き残っている生物はいません。
恐竜と言う強大なチカラを持つ生き物ですら滅びました。
なぜか。
恐竜脳だからです。
恐竜脳。それは、環境の変化に対応できない脳。
実は、生き残るのは、強い生き物では無く、変化に対応できる生き物です。
だから、高温から低温まで生きられる生物は、長期に渡って生き延びています。
人間はどうか。
地球の歴史から見れば、人間の歴史なんて一瞬です。
現代人なんて、1万年くらい、体の構造は、ほとんど変化していません。
その中で、兵力による戦争から、現代の情報戦争へ。
あっという間に進化しました。
思ってもみてください。
毎日、電車に乗って、会社に出勤する生活。
今、新型コロナウイルスによって、テレワークの活用が叫ばれています。
実際、世の中には、テレワークで成立して、そもそもオフィスを持たない会社も存在します。
馬車が自動車に変わったように。
伝書鳩が電話に変わったように。
昭和時代からの生活様式も、変化するのが当然なのです。
伝統だから、と言う理由だけで、特に重要性も考えずに無意味なコトを続けるのが大衆ですが、それが命を奪うコトもあります。
例えば、岸和田のだんじり祭り。
伝統行事ですが、毎年のように死者やケガ人が出ます。
伝統行事は最初から伝統行事だったわけではありません。
必ず最初があるのです。
日本の国だってそうです。
2700年くらいの歴史があると言われていますが、その前には日本はありませんでした。
そもそも日本列島もかつては大陸と一体でした。
つねに変化しているのです。
地形は動いていて、日本列島はやがてハワイとぶつかると言う説もあるのです。
ボクは今日、ワンワン祭りを勝手に作り出したとします。
当初は誰も相手にしないでしょう。
しかし、2000年続けたらどうでしょう。
2000年後の人々は、だんじり祭りと同じように、伝統行事として続けているかも知れません。
物事には必ず変化があるのです。
新型コロナウイルスはきっかけに過ぎません。
今まで自分たちが暮らしてきた生活様式が当たり前だと思うのは、変化の停止です。
コロナが収束したら、また、もとの生活に戻れる。
それでは、再びウイルスが発生した際に、同じ厄災を招くだけです。
コロナが収束しても、もとの生活に戻るのではなく、今度は、ウイルスが発生しても自粛しなくても良い仕組みづくりが必要だと思うんですよね。
それが変化です。
そして、変化するコトで生き残れます。
人間は他の動物よりも体力が劣りますが、それでも生き延びてきました。
それは数々の変化を起こしたからです。
さっき書いた、義務教育から定年退職までの一般的な生き方も、実は一般的ではなく、ほんの数十年前からの生き方に過ぎません。
そして、当然、そのパターンも今後、変わっていくはずです。
生き残りのために。
そんな中で、一部の、型にハマらない人を非難して、みんなと同じように今まで通り暮らす人は、おそらく生き残れません。
当たり前は当たり前では無い。
あらゆる物事には最初がある。
伝統も最初は伝統では無かった。
この先、まだしばらく生きるつもりの人は、生き延びるために、強くなるコトよりも、変化を生み出すコト、変化を受け入れるコトがポイントとなるコトを肝に銘じるべきだと思います。
その武器となるのが知恵です。
情報を手に入れるだけなら、検索だけで済みますが、情報を活用するには知恵が必要です。
AIは猛烈に進歩していて、人間の知識はもはや超えています。
でも、人間の知恵を超えるまでにはまだ時間があります。
知恵の活用と変化の受容。
これが、コロナウイルス後の生き方だと思います。