千葉
台風の後遺症で、送電線の倒壊などがあり、千葉県の多くの地域で停電が継続しています。
建築物の倒壊などと併せ、生活が大打撃を受け、しかも復旧の見通しが立ちません。
要は、住民の日常生活がピンチなわけです。
そんな中、牛丼の吉野家は、被災地域にトラックを走らせて牛丼を販売しました。
インフラの障害の中で食料調達さえ困難な状態なので、吉野家のトラックは手軽に食料調達できるので、住民にとっては助けとなりました。
また、同様に混乱している成田空港では、JAL(日本航空)が、自社のお客さんにパンと水を配布したそうです。
非難
普通に考えれば、困っている現地の人のために、できる範囲で行動した、と言う、いわゆる善意ですね。
しかし、世の中には、クレーマーと言うのがどこにでも存在します。
吉野家に対しては、
なぜ無料で配らないんだ!
JALに対しては、
なぜ自社の客だけなんだ!視野が狭いな!
と文句を言うんですね。
あいかわらず日本的な風潮ですね。
善意に対して文句を言う。
これらの文句が間違っているのは明白ですが、なぜ間違っているのかを例を示して説明しますね。
例えば、Aさんが被災地に対して、100円の寄付をしたとしましょう。
すると、それを見たBさんは、
なぜ、たったの100円なんだ!
と言いました。
はたして、Aさんは、100円の寄付をしたコトで文句を言われるのが正しいのでしょうか。
Aさんは何も悪いコトをしてませんよね。
たったの100円と言う言い方は、単なる規模の問題です。
じゃあ1,000円の寄付なら良かったのでしょうか。
でも、
なぜ、たったの1,000円なんだ!
と言う文句も成立してしまいます。
善意の規模に関して、正解なんて無いんですよ。
1円でも10円でも100円でも1,000円でも、困っている人のために善意を行ったコトには違いなくて、単なる規模の違いです。
マイナスになるコトは何もしていないので、文句を言われる筋合いはありません。
善意を行う人が、自分の事情に合わせて行えば良いのです。
全員が1000円以上を寄付する義務はありません。
余裕が無い人は100円でも10円でも良いですし、逆に自分が食べ物に困っているのなら、無理して寄付をする必要すらありません。
文句を言うとすれば、それは、マイナス行為に対してです。
つまり、被災地で泥棒を働く行為ですね。
そんな人に対しての文句はボクも反対しません。
タダでさえ被災で困っている人をさらに困らせるわけですから。
吉野家もJALも、それぞれ、自社の事情の範囲内で規模を決めて善意を行ったわけです。
それが、吉野家は現地にトラックを走らせる、JALは自社の客にパンと水を配る、だったわけです。
上記の例で言えば、それぞれが100円を寄付した、と言うわけです。
両者とも、被災者に対してマイナスを行っていません。
なのに、規模感を理由に文句を言う人たち。
100円の寄付は非難されて1,000円なら非難されないと言うのはおかしいわけです。
規模に関係無く、善意は尊重すべきです。
それでも文句を言うのであれば、文句を言う人たち自身が無料で牛丼を配り、文句を言う人たち自身がJALの客以外にパンと水を配れば良いだけのコトです。
日本は欧米と比べて、寄付やボランティアの文化が希薄なんですよ。
それは、善意の規模感を理由に叩く人たちが存在するからです。
善意を踏みにじる人たちが存在するからです。
ホントに叩くべきは、プラスの小さい人たちでは無く、マイナスを行う人たちのはず。
文句を言うべき相手を間違えていますし、善意を踏みにじっていますし、文句を言うくらいなら自分が行うべきですし。
何も悪いコトをしていないのに叩きやすいから叩く。
日本人って情けないねえ。
そうなってしまっているコトに気付きましょう。