非天マザー by B-CHAN

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小学6年生で教師から傷害

担任

 

 

ボクが小学6年生の時の担任の先生は熱血漢でした。

1年中半ソデ。

冬でも教室の窓は開けっぱなし。

なので、雪の日は教室内に雪が入り込み、生徒たちは凍えながら授業を受けていました。

先生としては、強靱で健康な子供を育てたかったのでしょう。

 

 

前髪

 

 

ある日、ボクは、先生から前髪が長いと指摘を受けました。

期限を決めて、いつまでに切ってきなさい、と。

しかし、そのようなわけのわからない取り決めにボクが従うハズもありません。

期限が過ぎても、前髪を切って来なかったため、その先生はハサミでボクの前髪を切ったのです。

現在なら、それは傷害罪なので、その先生の犯罪行為を訴えてもおかしくありませんが、当時の世の中では、そう言うコトは咎められなかったんですね。

しかし、ボクの親は当時からひと味違っていて、先生にきっちりクレームを入れました。

先生も非を認めたので、訴えはしませんでしたが。

 

あれから年月が経ち、こうやって当時を振り返りますが、前髪の件に関しては、どう考えても先生がおかしいと思います。

熱血漢の先生であり、良い面もたくさん見せてくれた先生ですが、前髪の長さが人間性にどう大切なのかは伝わってきませんでした。

実際、前髪の長さなんて人間性の何の関係も無いコトを、その後の人生であらためて実感しましたし。

 

何が言いたいか。

 

良い先生でも間違えると言うコトです。

そしてそれは先生に限らずすべての人に当てはまります。

どんなに尊敬できる人物でも、その人が全面的に正しいと言うコトはありません。

間違えたときはそれを認めましょう。

無条件に誰かを崇拝するコトは、間違えを認めないコトにつながり、恐ろしいコトなのです。

ボクも、あなたも、ボクが尊敬する人も。

誰もが正しいコトも言えば間違ったコトも言うのです。