性別の役割
ボクはわりと100%に近いくらい性別による役割の平等性を心情としている人間なので、世の中のおかしさが見えてきます。
例えば、女社長と言う表現はあっても男社長とは言わないですよね。変です。
女王と言う表現はあっても男王と言う表現は無いです。変です。
まず男ありきで、女の場合は女と言う文字を付ける、と言う前提になってしまっているんですね。
本来、どちらの性でも社長、王でいいのです。
主人と奥さん、も変ですよね。
男性が主たる人で、女性が奥に引っ込んでいると言うのは、いかにも昔の男尊女卑用語です。
性別の性質
それ以上に、ボクが気になっているのが、そもそも性別によって性格が違うという概念です。
それって実は、後から社会によって吹き込まれるんですよ。
男はわんぱくで女はおしとやか。
それは生まれ持った性質では無く、社会の環境の影響なんですよね。
文明社会では、女性は胸を隠しますが、未開の地では、女性が胸を隠さない種族も存在します。
恥ずかしいけど胸を隠さないのでは無く、胸を出しても恥ずかしいという概念が無いわけです。
つまり、女性が胸を出して恥ずかしいという概念は、文明社会で教え込まれた結果、身に付く概念なんですね。
実際、文明社会でも、小さな子供には恥じらいの概念はありません。
あくまでも後天的な性質です。
そう言う意味で、男性らしさとか、女性らしさなんて、本来は存在しなくて、あくまでも、そう言う概念が後から植え付けられているに過ぎないと言うコトを知っておいてください。
理由は上に2つ書いたとおりです。