大阪府八尾市
今年はボクが東京へ移住して10年なので、ちょっと昔話を。
ボクは、大阪の八尾市というところで生まれました。
大阪府内では飛行場を持つ街として有名でしょうか。
あるいは河内ということで河内音頭。
八尾市は人口はそこそこ多いんですが、それは面積が大きいからだと思います。たぶん人口密度はそんなに高く無いような。
まあボクの記憶では駅前以外はのどかな街でした。村っぽい。
近鉄の八尾駅が最寄駅。
何度も何度も歩きましたね。自宅と駅を。
八尾にはもう一本、JRの関西線も通っていて、JRの八尾駅もあるんですが、ちょっと遠くて、ボクが八尾に住んでいるときにはご縁は無かったです。
そんなボクが奈良県に引っ越したのは、小学3年生の時。
泣きましたよ。
クラスメートとの別れに。
奈良県
そして、奈良県に引っ越して驚いたのは、そのあまりの田舎っぷり。
農道とよばれる農家が農耕に活用するでこぼこ道が通学路。
八尾の時は自宅から小学校まで1分でしたが、奈良県に引っ越してからは通学が片道30分。もう毎日がイヤでイヤで。学校は楽しかったですけど、帰りの薄暗くて細い農道は恐怖でした。
野犬が真横にピタリとつけて付いて来たときは同級生が、
「目を合わせず、走らなければ、大丈夫。」
どんな恐ろしいところなんだ。
あるひ農道の端に茶色い靴が落ちてました、靴が落ちてると思って近づいていくボクに同級生が、
「それ、ナメクジだよ。」
八尾にいる時はせいぜい小指程度のナメクジしか知らなかったですし、そういう生き物だと思ってたんですが、奈良県には靴と間違えるほどの巨大なナメクジが住んでいます。
ある夏の夜、バタバタバタと羽音が聞こえてきて、網戸にとまったんですよ。
鳥だと思ったら、蛾(ガ)でした。
そんなこんなで、その後、社会人になって兵庫県宝塚市、尼崎市で一人暮らししました。
いや〜、一人暮らしはいいですね。
寝る時間と起きる時間と風呂の時間と食事の時間が自由。
宝塚では阪神大震災で命を落としかけましたが、幸運にも生き残りました。
尼崎では、JR尼崎の駅前に住みました。尼崎駅はJR大阪駅の隣の隣で、電車で確か5分くらいだったような。
とにかく便利でした。尼崎市って大阪市と同じく、電話の市外局番が06なんですよね。市どころか県も違うのに。
東京へ
そして、ある時、突然、東京へ移住。
「東京で暮らしたくなった。行ってくる。」
そんな感じでした。
当時乗っていた4WD車に荷物を詰め込んで、国道1号線を東へ東へ。出発日は土砂降りでした。ちょうど24時間後に東京に到着。
あらかじめ決めておいた(でも事前には見ていない)ワンルームマンションに付いてビックリ。6畳ほどのワンルームですが、こんなに狭いとは!ボクは閉所恐怖症なのに。
それで家賃が8万円ちょっと。これが東京の物価の高さか。
で、クルマを路上に置いておくわけにいかず、駐車場を探して、さらにビックリ!
なんと月額5万円。
ちなみに、東京に来る直前にボクが住んでいたのは奈良県で、そこは尺土駅という急行停車駅から4分の築4年ほどの2LDKで、家賃は月5万円ですよ。駐車場は月5千円でした。東京の駐車料金と奈良の家賃は同じレベルで、奈良の駐車料金の10倍。
ボクはクルマを売却しました。確かネットで見つけたのかな。ヤフオクか何か。10年落ちの傷だらけのクルマなのに10万円で買い取ってくれました。東南アジアへ売られていったそうです。
東京で仕事を始めて驚いたのは、というか驚きばかりですが、とにかく人が多い。
朝の通勤電車で、途中停車駅電車が停車したとき、人の流れに流されて、ボクは自分の意思に反してホームに出てしまい、そのまま乗れずに電車が行ってしまいました。そんな経験、始めて。
東京に移住したくなった理由は、関西の多くの場所に行き尽くしたこと。
そんなボクが知ったのは、関西では夜中になると、あまり人がいなくなるのに対し、東京では、一晩中、人に会うんですよ。
ボクは東京で3ヶ所に住みましたが、品川区にしても江東区にしても世田谷区にしても、夜中の2時3時でも外を歩けば、誰かがいるんですよね、普通の住宅街でも。
あと、大阪市内では大きな街は限られます。キタ(梅田)かミナミ(難波)か天王寺か京橋くらいですかね。
しかし、東京23区内って、大阪の梅田のような街が山手線にたくさんあるんですよね。
東京、秋葉原、上野、池袋、新宿、渋谷、恵比寿、品川、新橋、有楽町などなど。
少し離れて蒲田や自由が丘や下北沢や中野や赤羽や北千住や。
郊外に出ても巨大な街が。
高円寺、吉祥寺、調布、府中、立川、町田、八王子。
東京の人にはたいしたこと無いかもしれないですが、ボクの目には巨大な街なんです。
霞ヶ関
そんなボクが東京で働き始めたのが、あの霞が関ビル。
日本で最初の高層ビルであり、虎ノ門という、今でも日本の中心地と言っても良い場所です。
希望した東京で、しかもその中枢の霞ヶ関で。
勤務先企業は、ボクの入社時は約300人でしたが、毎月(毎年じゃなくて毎月)30人くらい中途入社があるくらいの急成長したベンチャー企業。
そんなボクの勤務先は、わずか2年半後に破産したんです。
続く。(のかな?)