人間の存在
ボクは人間を理系とか文系に分けるのはくだらないと思っていて、数学、物理学、文学、歴史、語学、ITその他、何でも学ぶようにしています。
最近は量子力学と世界史にハマっていますが。
とにかくたくさんの種類の本を読みます。
大昔から哲学が存在していて、存在しているコト自体が存在の証明だと考える人もいれば、存在していると考えるコトで存在が証明されると考える人もいるわけです。
ややこしいですか?
前者は、物体があれば存在。
後者は、物体があっても誰も知らなければ存在しないのと同じ。
そんな考え方ですね。
で、ボクはいつも思うんですよ。
人間の存在って何でしょう。
細胞
例えば、ボクの脳の機能が完全に複製できて、何らかの機械に移植されたとします。
つまり、その機械は、物体としては機械なんですが、ボクと同じ考え方をします。
それはボクなんでしょうか。
あるいは機械じゃなくても良いです。
人間はたんぱく質でできています。
ボクの全身のたんぱく質と全く同じ構造で、もう一人のボクを作れたとします
完全なボクのクローンですね。
それは、ボクなんでしょうか。
あくまでも、元の方がボクであって、クローンの方はボクでは無いのでしょうか。
こんな話をするのには理由があります。
人間の細胞は1個1個、日々、老化していって死んでいくのです。
新しい細胞に入れ替わっているんですよね
実は、人間の細胞は、半年ほどで、すべて入れ替わるそうです。
と言うコトは、今のボクは、半年前のボクとは完全に別の肉体なんですよね。
あなたも。
要は事実上のクローンなんですよ、今の存在は。
半年前の自分はすでにこの世にいないわけです。
全く別の肉体の人を同一人物として扱っているのが今の社会です。
さっき、ボクとまったく同じ構造で、もう一人のボクを作る話をしました。
その時点ではまったく同じボクが2人の状態ですが、では、そこから元のボクを殺したらどうなるんでしょうか?
新しい方のボクも、元のボクと全く同じです。
それって犯罪なんでしょうか。
人間は半年で全身が入れ替わると書きました。
であれば、同一の2体のうち1体を消滅させても問題無いと言う理屈になりますよね。
現実には人間の完全なクローンは実現していないので問題無いわけですが、理論上はクローンのうちの1体を消滅させても問題無いと言うコトになってしまいます。
長生きすればするほど、細胞の世代交代は増えます。
高齢者はもはや、子供の頃のその人とはまったく別の肉体です。
別の肉体が同一人物。
この社会は論理的矛盾でできているのです。