定年退職
ボクがサラリーマンとして勤務している会社で初めての定年退職者が出ました。
現在、20数名ほどの小さな会社ですが、歴史としては30年くらいあるんですかねえ。
その歴史の中で初めての定年退職者だそうです。
全社員の誰も定年退職の経験が無いため、扱いにも迷っている様子。
その人は最後に所属したグループとは別に長年所属したグループがあり、ボクもそこに所属しているんですが、ボクは新参者なので、その人と同じグループで仕事をしたことはありません。
しかし、長年所属したグループってことで、グループだけでの送別会をやったり。
送別会と言っても、ボクはたまたま現時点でのメンバーだと言うだけのことであり、調節的な接点は無いままの送別会でした。
一方で、会社全体的な送別会も行われます。
定年退職記念の贈り物も、グループ別であったり個人であったり全体であったり。
とにかく決まりが無いのでちぐはぐかつ試行錯誤です。
いずれにせよ、大多数の人にとっては定年退職は特別なことのようです。
退職まみれ
ようです、と書いたのは、ボクだけは目線が違うからです。
ボクは人生の半ばで、すでに10種類ほどの職を経験済みで、とにかく変化しまくり。
多くのサラリーマンの人は、人生の中心に会社を置いているようなんですよね。
会社を中心に仕事をして会社の規則に従って休む。
ボクは全然違うんですよねえ。
会社はあくまでも収入を得る方法のひとつにすぎなくて、気持ちとしては会社は人生の1%程度。
つまり、100種類ほどを日々、経験したくて、会社はその中のひとつ。
他の多くの人は、会社を中心に暮らしているようです。
会社の決まりで出社し、会社によって定められた休日に休む。
でもボク的には、その休日はあくまでもサラリーマンとしての休日にすぎなくて、別に人生の休日では無いわけです。
例えば、会社によって定められた休日が土曜日日曜日なら、多くの人は土曜日日曜日に休むんですが、ボクの考え方は、土曜日日曜日はあくまでもサラリーマンとしての休日にすぎないので、土曜日日曜日は他の仕事をするわけです。つまり100種類のことにはサラリーマンとしての仕事もありますが、他のいくつかの仕事も含まれるわけです。
当然のように、多くの人は、サラリーマンとしての出世が重要になるようです。
ボクのように最初から複数の収入源を作っておく考え方の人間は、サラリーマンとしての評価も人生の1%しか影響を与えません。
退職もそうなんですよね。
会社を中心に働いている人にとっては定年退職は人生の一大事のようです。
でもボクのようにコロコロと転職を繰り返している人間にとっては、退職は日常茶飯事。おそらくこれからも数年ごとにやって来ます。
だから退職に対する重みも全然違うんですよね。
退職に対して大げさにイベントを行うこともボクにとっては不思議です。
それは人生の中のほんの小さなできごとだからです。
ある会社が決めた定年の年齢で会社を退職したのなら、また別の仕事に就くか別の仕事を始めるだけのことです。
でも、日本では、まだまだボクのような人は少ないようですね。
会社を中心に生き、会社に人生を捧げ、会社での出世のみに血眼になる。
みなさん、どう思いますか?
休日と言うのはあくまでも会社の休日であって、人生の休日では無い。
と言うか人生のうち7分の2も活動停止するってもったいないんですよね〜。