監視社会
2007年にiPhoneが登場して、世界が変わりました。
どの点で変わったのか。
色々ありますが、ボクは、監視社会になったのが大きいと思うんです。
iPhone登場以前にもカメラ付き携帯電話はありました。
しかし、あくまでも、写真をメールに添付して誰かに送信するのが主な使い方でした。
しかし、iPhone以降の世界では、写真とSNSが融合し、事件がすぐに世界中に拡散されるようになりました。
今は、ほとんどの人がスマートフォンつまり通信機能付きカメラを持ち歩いています。
iPhone以降の世界は、いわば、無数の監視カメラがある世界になったのです。
犯罪の意味
かつて、犯罪は、それ自体にメリットがありました。
厳密に言えば、メリットからデメリットを引いても有り余る世の中でした。
犯罪を起こすと逮捕されて刑罰を受ける可能性がありますが、捕まる可能性が低ければ、犯罪を起こす動機が高まります。
例えば、極端な話ですが、
保険金殺人で1億円を得る犯罪の成功率が99%
なら、多くの人が、その犯罪に走るはずなんですよね。
しかし、時代が進むとともに、IT化など、様々なテクノロジーの進化によって、犯罪の補足率は高まります。
やがて、
保険金殺人で1億円を得る犯罪の成功率が1%
にまで落ちれば、もはや、それを実行しようとする人はほとんどいなくなります。
カメラの普及と言うのは、犯罪補足率を飛躍的に引き上げています。
自動車の煽り運転がわかりやすいですよね。
今は、煽り運転の多くは、スマホやドライブレコーダーによって録画されます。
つまり、煽り運転をして当事者が得られるメリット(煽るコトで精神的にすっきりする)よりも、デメリット(逮捕される)の方が大きくなりました。
こうなると、もはや、煽り運転をしても本人が損するだけなので、やがて、する人は減っていきます。
日々、色んな事件が起こっていますが、今の社会は、大量の監視カメラで撮影され、犯罪者の使命はインターネット上に半永久的に残ります。
なので、犯罪で得られるメリットよりも、デメリットが圧倒的に大きくなっていて、もはや、犯罪をする動機がほとんど無いのです。
今はまだ過渡期かも知れませんが、多くの人が、そのデメリットを認識したとき、犯罪発生率はグンと下がると思います。
その社会でも、わずかながら犯罪は無くなりません。
なぜなら、失うモノが無い無敵の人が存在するからです。
例えば、死刑になりたくて人命を奪う人がいます。相手は誰でも良いのです。
また、刑務所に入りたいから犯罪を起こす人もいます。これも相手は誰でも良いのです。
そう言うケースは、刑罰がデメリットにならないので、刑罰の強化は意味をなしません。
ではどうすれば良いか。
それはもちろん、原因を取り除くしかありません。
日々、平凡に平和に暮らしている人がいきなり犯罪に走るコトはほとんどありません。
犯罪に走るケースの大半は、原因があります。
貧困、人間関係のもつれ、社会への不満。
であれば、貧困を解消すれば、貧困を原因とする犯罪を防ぐコトができるのです。
犯罪を防げると言うコトは、被害者の発生を防げると言うコトです。
被害者は無差別です。
明日、ボクが命を奪われるかも知れませんし、あなたかも知れません。
過去、多くの被害者は、まさか自分がここで死ぬなんて思いもしなかったはずです。
でも現実に事件は起きています。
言わば、ボクやあなたが明日も生きるための手段のひとつが貧困の解消です。
他の原因も同様です。
生活保護の議論で、働かない人を救済するのはおかしいと言う人がいますが、それは底が浅い話なのです。
一義的な救済はもちろん貧困者なんですが、その奥にあるホントの救済は、罪の無い人が命を奪われるコトを防ぐと言う意味なのです。
人間は、数千人、数万人と存在すれば、必ず、犯罪に走る人が出てきます。
ただし、それは動機も無くいきなりと言うケースはほとんどありません。
原因があるわけです。
原因があるから、その解消のために、ごく一部の人が犯罪を起こします。
そして、無関係な誰かが犠牲になります。
監視カメラが増えて、犯罪のメリットが小さくなった社会ですが、そのデメリットが当てはまらない人に対しては、監視や刑罰は効果を発揮しません。
だから、原因の方からアプローチしなければいけないわけです。
すでに、監視と刑罰は進歩していますが、原因側のアプローチはまだまだ未熟だと思います。
生活保護なんて許されない、と言う短絡的な意見では無く、総合的に最も犠牲が小さくなる方法を考えるのが妥当です。
どのみち、完璧な方法なんて存在しないので、ならば、総合的に最も犠牲が小さくなるアプローチ。
そのひとつが、実は貧困の解消なのです。
進歩した社会ほど、そう言った救済インフラは充実します。
生活保護はけしからん、と言う意見が少なからず存在していると言うコトは、その国は、まだ発展途上だと言えます。
それは感情論では無く、犠牲を最小にする社会システムだからです。