松本サリン事件を覚えていますか?
1994年に松本サリン事件が起こりました。
事件が起こると、容疑者として河野さんの名が挙がり、警察は家宅捜索しました。
マスコミが怪しい人物としてかき立て、多くの日本国民も河野さんを非難しました。
しかし、河野さんは潔白でした。
情報が未確定な段階にも拘わらず、何の罪も無い人物に対し、多くのマスコミや国民が非難を浴びせたコトを覚えている人も多いでしょう。
情報が確定してない段階で、断定的に物事を判断すると、間違った行動をしてしまうのです。
安倍元首相銃撃
今日、奈良県で、安倍元首相が銃撃されました。
そのニュースが流れた直後から、多くの政治家や国民が、
民主主義に対する冒涜である。
と語りました。
みなさん。冒頭の河野さんの話を思い出してください。
情報が未確定なのに、多くの人が断定的に語りすぎだと思いませんか?
例えば、レストランのシェフが銃撃されたら、レストラン業界に対する冒涜でしょうか?
そんな報道はしませんよね。
単に、そのシェフが個人的に恨まれただけかも知れません。
例えば、スーパーの店員が銃撃されたら、スーパー業界への冒涜でしょうか?
そんな報道はしませんよね。
単に、その店員に犯人が個人的な恨みを持っていただけで、スーパーへの恨みとは何の関係も無いかも知れませんから。
同様に、元首相が銃撃されたからと言って、政治的な犯行とは限らないわけです。
単に個人的な恨みであって、政治的感情とは関係無いかも知れません。
あるいは、「誰でも良いから撃ちたかった、撃ったらたまたま元首相だった」、なのかも知れませんし(可能性は低いでしょうけど)。
なのにニュース直後から、多くの政治家や国民は、
民主主義に対する冒涜である。
と語るんですよ。
民主主義に対する冒涜かどうかがまだわからない段階で。
まさにバイアスなんですよね。
政治家が銃撃されたんだから、政治的な話に違いない、と言う決めつけです。
少なくとも、事件直後は情報が無いので、そんな断定なできないハズなんですが。
ネットを見てください。こうやってデマは拡散します。
多くの人が、不確かな情報に対して、断定的な判断をしてしまうからです。
もちろん、時間が経って捜査が進めば、この銃撃犯は、政治的犯行と自供するかも知れません。
であれば、その情報を元に判断すれば良いのです。
でも、多くの人は、確定情報が出る前から断定的判断を下していました。
ちょっと事件の本筋とは異なる内容ですが、ボクは今回のニュースを見て、そんな風に感じていました。
それにしても、暴力的事件は許せないですね。