放火
大阪で大きな放火事件がありました。
放火事件そのものは件数が多いんですが、大勢の人が犠牲になると痛ましいと感じるとともに、偶然の恐ろしさも感じます。
なぜなら、たまたまボクがいる建物に放火されていたなら、ボクが犠牲になっていたわけで、それは誰もが同じ。
つまり、今日、この後に死ぬかどうかは偶然なのです。
今回の放火事件で亡くなった人たちも、過去の放火事件のニュースを見て、痛ましいと思っていたでしょうけど、まさか自分も放火で死ぬなんて思ってもいなかったでしょう。
ボートに浸水
この手の犯罪発生時には、決まって犯人の精神鑑定の話題が持ち上がります。
しかし、そんな議論は本質的に何も解決しません。
有罪になったところで死者は戻って来ませんから。
ボクはこのブログでよく、ボートの浸水の話を書きます。
ボートの底に穴が空いて浸水している場合、解決方法は水を汲み出すコトではありません。
それは単なる対症療法です。
必要なのは対症療法より根本治療。
この場合の根本治療は、船底の穴を塞ぐコトなのです。
犯罪者を処刑するコトも対症療法に過ぎません。
確実にそれを実行したところで、次の犯罪は防げないのです。
犯罪が起こる。
犠牲者が出る。
犯罪者が処罰される。
それの繰り返しです。
永遠に犠牲者は出続けます。
大切なのは根本治療。
つまり、犯罪に至った原因の方です。
今回の放火の原因はまだわかりません。
例えば、モノを盗む犯罪の原因は貧困であるコトが多いのです。
だから、盗んだ人を処罰しても、別の人が盗むだけであり、盗みは無くなりません。
根本治療は貧困の絶滅ですね。
放火犯が精神鑑定によって無罪になるのは許せない。
そう叫ぶ人が多いですが、そんな本質から逸れた話をする限り、今後も放火は起こりますし犠牲者も発生します。
次の犠牲者はあなたやボクかも知れません。
根本治療について語る人が少ないのがボクはとても気になりました。
いつものコトですが。