交通事故
最近の年間の交通事故死者数は3000人強。
まあだいたい、1日に10人が交通事故で亡くなっています。
ニュースで交通死亡事故のニュースを見ますよね。
あんなのはほんの一部。
今日も交通事故だけで10人が亡くなっています。
明日も10人が亡くなります。
あなたが思っているよりも多くの人が交通事故死しています。
すごいと思いませんか?
ニュースで、
「今日、交通事故で10人が亡くなりました。」
それが毎日続いたといたら。
実際には、毎日、続いているわけです。知らないだけで。
歩行者が防ぐしか無い
交通事故死はほとんどが運転手の責任です。
本人に悪気があっても無くても、交通事故は起こります。
だから、これからクルマを運転する人は、今回こそ、自分が人をひき殺すかも知れないと覚悟して乗らないといけないんです。
でも、ひき殺すだけなら数年間、交通刑務所に行くだけで済みます。
家族の生活が崩壊するだけで済みます。
人生が狂うだけで済みます。
一方、ひかれた方が、それで命が終了です。
生き残った人と比べたら、損失は無限大に大きいのです。
にも関わらず、交通事故に無関心な人が多すぎる。
例えば、交差点で歩行者信号が赤なら、歩行者はスマホでも見ながら青になるのを待っています。
考えてみてくださいよ。
1日に10人亡くなる交通事故が365日連続で起きているわけですよ。
交差点で赤信号で待っている歩行者に、運転を誤ったクルマが突っ込んでくる可能性は非常に高いわけです。
この世の中のあらゆる事故の中でも圧倒的に発生確率が高いのが交通事故ですから。
そして、何の落ち度も無い歩行者が命を落とす。
信号って、青が進め、赤が止まれ、では無いんですよ。
それは単なる規則です。
実際には人間は、違反もしますし、ミスもします。
そして、その場合の犠牲者は運転手では無く歩行者。
歩行者は運転手のミスも違反もコントロールできません。
だから、自分で命を守るしか無いんです。
ボクは車道の脇を歩くときも、交差点で待つときも、必ず、
運転手がミスをして突っ込んでくる可能性がある
と認識しています。
だから、例えば、どうしても車道の左側を歩くしか無い場合は、時々、後ろを振り返って後方から来るクルマの動きをチェックします。
後ろから時速40kmでクルマに追突されたら、間違いなく激しい勢いで背骨が折れて道路に叩きつけられます。
それで無事に命を落とせば、まだラクかもしれません。
脊椎が損傷すれば、ほぼ間違いなく一生、寝たきりです。手足も動かせず、食事も介護になります。
何の罪も無い人が、高い確率でそうなります。
みんながやっていないことを自分だけがやることに抵抗がある人が多いんです。
それは人間心理です。
地震でグラッと揺れたとき、誰も騒いでいないのに、自分だけが騒ぐのは恥ずかしい。
その結果、多くの人が初動が遅れて命を落とす。
ボクはかつて阪神大震災の被災者であり、実際に経験しているので、東京にいても、ちょっと強めの揺れが来たら、人目もはばからず、大急ぎで安全な行動をとります。
逃げます。
交差点では、スマホなんか見ないで、とにかく四方のクルマが突っ込んで来ないかチェックします。
車道脇を歩くときも前後のクルマとの距離感をチェックします。
トラックやバスが近づいてきたら、例え事前に心がけていても、自分に突っ込んできたら、まず助かりません。
激しい痛みと共に命を落とします。
この世で最後に感じるのが激しい痛みです。
それはイヤなので、念のため、建物などに身を隠します。
他人から見たら、ボクの行動は異常でしょう。
でも、交通事故の発生は万が一では無いんです。
万が一よりもずっと多いんです。
実際、ボクのような行動をとっておけば助かったはずの数千人が命を落とし、数万人が車イス生活や寝たきり生活になっています。
これだけ書いても、歩きながらスマホをしたり、交差点にいるのにクルマの動きに気を付けなかったり。
過去に交通事故のニュースを何千回も見てきているはずなのに。
いかに、多くの人が、自分の命を軽く見ているかですね。
報道の仕方にも問題があると思うんですよ。
事故死、と言う言葉だけを伝え聞いても実感が湧かないですよね。
実際には事故で亡くなる人は、亡くなるくらいの激しい痛みを経験するんです。
十分に火が通って熱々のフライパンに10秒間、手をくっつけてください。
あまりの熱さにのたうち回ると思います。
でも死にません。火事で死ぬ人は、それとは比べものにならない熱さを経験するんです。
金属バットを思いっきり振って自分の腕をバキッと折ってみてください。
起き上がれないくらいの激痛です。
でも死にません。
交通事故で死ぬ人は、それとは比べものにならない痛みを経験します。
事故を防ぐためには、その報道をすべきだとボクは思うんですよね。
まあ、この話は、また改めて書きます。