物事を判断するのに人の好き嫌いで判断すると間違える
東京の石原都知事は、花見の自粛を求め、
民主党の蓮舫議員はそれに対して、「権力による社会活動の制限は最低限に留めるべき」と否定したわけです。
ここでtwitterのタイムラインを見てると、
石原都知事のことを嫌いな人は石原氏に対して
「お前が言うな」と言い、
いっぽう蓮舫議員のことを嫌いな人は蓮舫氏に対して
「お前が言うな」
と言っています。
もはや完全に人の好き嫌いの問題にすり替わってしまっています。
そんなことではきちんとした判断はできません。
重要なのは石原氏のキャラでも蓮舫氏のキャラでもなく、「花見をしてもよいかどうか」という中身の議論のはずです。
この前ボクは、こんな記事を書きましたよね。
さっきも少し書いたんですけど人間って完璧じゃないです
つまり、自分が好きな政治家だって間違ったことを言うこともありますし、自分が嫌いな政治家だって正しいことを言うこともあります。
自分の好きな人が常に正論を言うわけではありませんし、自分の嫌いな人が必ず間違ったことを言うわけでもありません。
単に人物の好き嫌いで判断してしまうと、その人がもし正しいことを言ったときにも、その人を嫌いだからと言う理由で、正しい意見にも反対してしまうことになってしまいます。
大事なのは議論の「中身」のはずです。
ボクは石原氏も蓮舫氏も支持も否定もしません。そんなのは重要ではなくて、花見をしてもよいかどうかの議論が大事なんです。
花見というのは単なるお祭り騒ぎではありません。先祖を供養するという日本の伝統的な慣行の意味も含まれています。
ですから自粛さえすれば良いという話でもなく、自粛することでかえって供養・弔いの意味から外れることにもなります。
いっぽうで、警備の方は災害対応に駆り出されているため、いつもどおり、花見の名所が人であふれかえっても十分な警備が出来ないわけです。
ですから花見をするにしても場所や時間ををいつもと同じではなく工夫をして、事故が起こっても自己責任でやるべきですね。
何らかの犠牲を出したり、無理だと判断すればやめれば良いわけです。
供養の方法は他にもありますから。
石原氏がどうとか蓮舫氏がどうとか、そんなのは花見の議論とは何の関係もありません。
我々が自分の責任で自分で決めることです。