アウトプット
みなさん、季節の変わり目、体調は大丈夫ですか?
という社交辞令的な挨拶を初めて書いてみました。
日々、大量の本を読むことを推奨しているボクですが、大事なのはインプットではなくアウトプットであることも言い続けてきました。
資格もそうですね。
資格マニアになってたくさん集めても意味なんて無いんです。得た知識をどれだけアウトプットして人の役に立つかが大事なんですよ。
というわけで、今回はボクが最近感心した、とある本の一部を紹介します。
ボクなりの解釈を交えて書きますね。
有形バリュー
企業の目的ってのは、何らかの価値を提供して社会に貢献することです。
利益を得るというのは、そのための手段であって目的ではありません。
資本主義において、ここが誤解されやすいところ。
有形バリューと無形バリューという言葉があります。
有形バリューはその名の通り、形のある価値。
形のある価値には限りがあります。
例えば、金のネックレス。
これは単なるネックレスでは無く金のネックレスであることに価値があるんですね。
でも世の中に存在する金の量は有限です。
極端に言えば世界中の金を使い果たせば、それ以上、金のネックレスは作れなくなります。
てことは、それ以上は有形バリューを提供できなくなるんですね。
しかも金を入手するにはコストが掛かります。
そういう意味でも無限に使うことはできないわけです。
共産主義でも資本主義でも、価値が置かれたのは、この有形バリューでした。
そして有形バリューに頼る以上、限度がやって来るわけです。
2つの会社がお客さん争奪競争をしているとします。
「当社はあの会社と同じ量の金を使いながらより低価格です。」
こんな価格競争をすればどうなるでしょうか。
わかりきったことですが、商売とは価値と価値の交換です。
価格競争をしてしまえば、提供する価値に対して得られる価値が少なくなってしまいます。
100を提供しているのに80しか返ってこない。
もはや等価交換では無いんですね。
そうすると、会社の財産はどんどん減り、いずれ破滅します。
これが有形バリューでの競争の末路です。
こんなのは最初から成り立たないことは明白です。
共産主義は有形バリューの分配に問題があり、資本主義は有形バリューの争奪に問題がありました。
無形バリュー
ここで無形バリューという言葉が登場します。
例えば同じ金のネックレスを売るのでも、雑な包装をして雑に渡すより、丁寧に包装して心を込めて渡す方がお客さんは喜びます。
当然、そういう対応をする方が選ばれます。
では、この丁寧なもてなしというのは限りがあるでしょうか。
たくさん丁寧にもてなせば、いずれできなくなるでしょうか。
違いますよね。
物質としての有形バリューとは異なり、人間の態度や心で決まる無形バリューというのは無限に存在します。
総量が決まっているわけでも無いですし、使えば減っていくわけでもありません。
旅館なんか、わかりやすいですよね。
おいしい料理というのは旅館のサービスのほんの一部です。
丁重な出迎えや行き届いたサービスが旅館のクオリティを表します。
そして、そういうサービスクオリティは行えば行うほど減るモノでもありません。
やるかやらないかは、当事者の心の問題です。
意思の問題です。
金をたくさん提供したいと思っても有限ですが、丁寧なおもてなしをしたいと思えば、いくらでもできます。
これが実は、生き残る企業と滅亡する企業との違いです。
滅亡する企業はあくまでも有形バリューにこだわり、その結果、限度に達してしまい、それ以上提供できなくなり、激しい争奪戦で消耗して、それ以上続けられなくなるんです。
しかし、無形バリューを知っている会社は徹底して無形バリューのクオリティを上げることにこだわります。
なにせ無限に存在するんですから、やればやるほどお客さんの満足は上がるんです。
経営に携わる、いや、仕事をするすべての人に考えて欲しいことですね。
ボク自身も自分を省みているところです。
この本です。Kindleで安く買えるので読んでみてください。
たぶん学生向けですが、社会人の人もどうぞ。
もちろんスマホやタブレットのKindleアプリでも読めますよ。
あと、それに近い内容で、ボクが以前読んでみんなにオススメしたいのがこの2冊。
改めて読んでみると、やはり無形バリューの重要性が謳われています。
いやホント、面白いですよ。読みやすいし。