失言
有名人が失言し、炎上して謝罪に追い込まれるケースは数知れずあります。
人間は誰しも、過ちを犯すコトはあるので、過ちを犯しただけで人生が詰むような環境はおかしいのです。
ましてやその過ちが意図的では無く、単なるミスならなおさらですね。
ミスしただけで人生終わりなら、誰も生きられません。
人格非難
ところが世の中には、過ちを攻撃するあまり、人格非難にまで走る人がたくさんいます。
最近だとわかりやすいのがDaiGo氏の例ですね。
DaiGo氏は人権的に問題がある発言をしました。
であれば、その発言のおかしさについて論じれば良いはずですが、それに飽き足らず、DaiGo氏のビジネスモデルやテレビでのパフォーマンスまでおかしいと言う人が現れました。
つまり、ある問題発言をした人物については、それ以外のコトも問題があると言って攻撃するのです。
本来、問題発言と、その他の事項とは関係ありません。
が、攻撃する人たちにとっては、論理的に矛盾があっても構わないんですよねえ。
つまり、何か間違いを犯した人なら、他のコトも悪いに違いない、そんな論調になるのです。
ボクはこのブログで何度か言いましたが、キライな相手が間違っているとは限らないんですよ。
キライな相手であっても、正しいコトを言っていれば、それは認めるべきなのです。
そうしないと、コトの善悪が好き嫌い感情で決まってしまうので。