タバコ
この世の中には対立構造があり、対立構造の有名なのが、タバコと原発です。
嫌煙家の人は愛煙家を、愛煙家の人は嫌煙家を、毛嫌いするんですよね。
その論争の根拠に挙げられるのが、
健康被害
です。
嫌煙家の人たちは、タバコの健康被害を根拠に話します。
一方で、愛煙家の人たちは、タバコの健康被害をウソだと言います。
論点が、健康被害に有無になっているんですよね。
ここがおかしい。
タバコに限らず、自動車の排気ガスでも、工場の煙でも、たき火の煙でも、長く吸っていれば、健康に悪いんです。
ウソだと思うなら、たき火の煙を毎日毎日、吸い続けてみてください。
健康被害を根拠にするのなら、健康被害をウソだと言う論法は負けです。
煙を吸えば害です。
だから、愛煙家の人たちは、健康被害はウソ、なんて論法はやめた方がいいです。
説得力ありませんから。
そんなコトしなくても、堂々と言えばいいんですよ。
「タバコは健康に悪いけど、好きだから吸う。」
と。
自分の立場を有利にするために、ウソを流しても仕方が無いんですから。
原発
同じコトが原発の争いにも見られます。
反原発の人たちは、原発の危険性を論じます。事故が起こったときの処理コストも論じます。
一方、原発推進派の人たちは、原発の安全性は確保されていると言います。発電コストの安さも論じます。
これも、ボクから見れば、原発推進派の人たちの論拠が弱すぎるんですよ。
なぜならウソだから。
自分たちの立場を有利にするために、ウソを付いて推進しようとしても、仕方が無いんですよ。
原発推進するには、堂々と言うべきです。
「原発は危険だけど、現代社会を成立させるためには、他に選択肢は無い。」
と。
クルマに目を向ければわかるでしょ。
現代社会でクルマは必要なんです。
でも、クルマは安全だなんて思わないでしょ?
クルマを推進したいために、
「クルマは安全だ。」
なんて言っても意味が無いですし、説得力がありません。
危険だけど、現代社会では必要だと誰もが認識しています。
タバコ愛煙家は、タバコの健康被害は無いなんてウソを言うのはやめましょう。
堂々と正直に健康被害があるコトを語りながら、それでも自分には必要だと言えばいいじゃないですか。
原発推進派は、原発は安全だなんてウソを言うのはやめましょう。
堂々と正直に原発の危険性を語りながら、人々の生活を助けるのに必要だと言えばいいじゃないですか。
ウソの論点で争っても何も進展しません。
デメリットをきちんと認めつつ、それでも必要だと言う主張をすべきです。
デメリットがあるから不要だ、なんて言い始めたら、クルマも全廃すべきですし、この世のすべてのモノにメリットもデメリットもあるんですから、デメリットの有無は問題にならないんですよ。