救援物資
何年かごとにどこかで大災害が起こるので、一生に一度も被災しない人は少ないかも知れません。
ボクは阪神大震災の被災者です。
災害が起こると、全国から救援物資が送られます。
助けたい、支援したいと言う目的は大事ですが、問題はその手段にあります。
被災地は、土地がめちゃくちゃ、建物がめちゃくちゃ、ライフラインがめちゃくちゃ。
体力も奪われ、不安にさいなまれ、そんな状態の被災者の元に、全国から物資が届く。
どのタイミングでどこから何がどれだけの量が来るのか、全然わからないわけです。
現場には、さばききれない大量の毛布の山、食料の山、おむつの山。
置き場所も無く、整理する人員も不足し、虫が発生し、腐敗し、カビが生え、病気の原因にもなります。
被災者のことを考えない支援によって、ますます被災者は苦しむのです。
支援をしたいと言う気持ちは、あくまでも、支援者側の都合です。
優先すべきは、支援者側の気持ちよりも被災者側の気持ちであるべき。
千羽鶴の議論
被災地に千羽鶴を送ることについての議論があります。
ただでさえ色んな物資で困っているところに、あちこちから千羽鶴が。
被災者は困ります。
もちろんそれは気持ちの問題ではありません。
支援の気持ちはありがたく感じるでしょう。
人間ですから。
でも、事実として、その取り扱いにはとても困るのです。
被災地への千羽鶴はゴミだ、と言う人がいます。
ゴミと言う言い方はキツいですが、事実上、ゴミにするしかありません。
食料なら食べられますが、千羽鶴は生存のためには役に立たないばかりか害にさえなるんですから。
上記の記事の中にこんなことが書かれています。
子供たちが純粋な気持ちで折った鶴にそんなこと言えるのか
これには明確に反論できます。
鶴を折る側の子供のことよりも、何の罪も無いのに被災して、現地で泣き叫んでいる純粋な子供のことを優先しましょうよ。
そこに邪魔になる鶴が全国から大量に届き、眠る場所さえも奪われる子供はどう思うでしょうか。
苦しいですよね。
弱い者いじめと同じです。
純粋な気持ちで鶴を折ることよりも、弱い者いじめはダメだと言うことを純粋な子供に教えることこそ大事でしょ?
ホントの優しさは、自分が何をしたいかでは無く、相手が何をして欲しいか、です。
繰り返します。
支援者の気持ちよりも被災者の気持ちを優先しましょう。
千羽鶴は、被災者の生活が回復してから、害にならないタイミングで害にならない数をおくってあげればいいんです。
1年後とか。
善意をゴミあつかいは酷い
とも書かれていますが、弱者に対する有害な行為は善意ですら無いんです。
ただの自己満足です。
いつか将来、自分自身が被災したときに、それに気付くでしょう。