非天マザー by B-CHAN

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東京電力の賠償問題にとても関係がある一国民として思う

法をゆがめて不当利得を発生させてはいけない


ボクは仕事でもプライベートでもファイナンスをゴニョゴニョ(?)としてますので、このブログでも何度かそういう話をしましたし、今だと、東京電力のスキームにも大変興味があるんですが、一般の人は、ファイナンスの知識が無い人も多いでしょうから、ここで基本的な知識をお話ししてみます。
それによって東電の処理の仕方を見る目も変わるかもしれません。
まず、企業というのは事業を行うために資金調達をします。
おカネが無いと事務所も用意できませんし、机やイスやパソコンなどを揃えるにもおカネがかかりますからね。
これには大きく2つあって、自己資本と他人資本と呼ばれます。
自己資本は一般的には株式と呼ばれ、他人資本は負債と呼ばれます。このほうが一般の人にはわかりやすいですかね。
で、この二つは何が違うかというと、自己資本は会社が返さなくて良いおカネで、他人資本は会社が返す必要があるおカネと言う事になります。
他人資本とは負債すなわち借金ですから借りた人に返すのは当然ですよね。
いっぽうの自己資本すなわち株式。これは会社は返さなくていいんです。
例えばボクがA社の株式を買ったとします。これは一般的にはA社から直接買うというよりも、A社の株を持っている他の株主さんから買うんです。つまり株式はすでに発行されていて、いろんな人が持っていて、それらの人たちどうしで売り買いをしているわけです。なのでまたボクが将来A社の株式を売るときは、それを誰かに売る事になります。こうやって買ったときのおカネを取り戻すわけですね。
例えば買ったときが100円だったのが売ったときに120円なら儲けになりますし80円になってたら損失です。
いずれにせよ、その120円や80円はA社からもらうのではなく、あたらしく株を買う人からもらうことになります。
さて、ハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンという言葉を知っていますか?
大きなリスクを取れば大きな見返りがあるという意味です。とても公平な概念ですね。
例えばサラリーマンと言う仕事はリスクが小さいですよね。その分、得られる収入も少ないです。
一方で事業を興す人はとてもリスクが大きいですが、そのかわり成功すれば大きな収入を得られます。
これが資本主義の原則で公平な考え方なんです。
さて、さっき説明した他人資本と自己資本。
まず他人資本すなわち負債。これは貸す側の人(債権者と言います)にとってはローリスクローリターンです。負債というのはあらかじめ契約で金利と返済期限が決められています。つまり予定通り返ってきて、予定通りの金利を稼ぐ事ができます。
一方の自己資本すなわち株式。これは出資する人つまり株主にとってハイリスクハイリターンです。そもそもあらかじめいくらで売れるとか金利がいくら付くなんて決まっていません。さっきも書きましたが高値で売れる事もあれば安値で売れる事もありますし、企業の業績によっては配当もあったりなかったりします。つまりリスクも大きいですが、大きく稼げるかもしれないわけです。
さて、ここで企業が破綻したときの事を考えてみます。
契約上あるいは法律上、企業の財産については債権者が株主に優先します。例えば会社に財産が1000円残っていて(残余財産と言います)破綻したとします。
この会社が負債を800円抱えていた場合、まずは債権者に優先的に800円の負債と利息が返済されます。利息が50円だとしたら合計850円ですので、残りは150円だけです。この残り150円を株主でわけあうということになります。
また、もし負債と金利で1000円使い切ってしまったら、株主には1円も戻りません。株は紙切れになってしまうわけです。
つまりここでも債権者はローリスク、株主はハイリスクなわけです。そのかわりさっきも言ったように債権者は儲けが少なく、株主は大きく儲けるチャンスもあるわけです。
さらに言えば、会社に1000円の財産しか残っていないのに負債が1500円あったとしたら、株主はもちろん出資したおカネは全部失いますが、債権者も500円損する事になります。これを債務超過と言います。
株式会社の仕組みが便利なのは、株主というのは出資した範囲内での有限責任ということです。つまり自分が100円で株を買ったとしたら、最悪のケースでもその100円を失うだけで済むと言う事です。それ以上の責任はありません。500円分の債務超過のケースでも債権者のために株主が追加で500円を出す必要はありません。
言い換えれば株主は出資した金額の範囲で経営の責任を負っている事になります。
これらはあらかじめ決められている事ですので、それを前提にして、それぞれの人が企業にカネを貸すのか(債権者)、あるいは出資するのか(株主)を選択できるわけです。
逆に言えば、後付けの理由でこの公平なルールを破ってはいけないわけですね。なぜならルールを破ってしまうと、ルールを守っている人たちが損害を被るからです。
さて、東電。
政府が損害賠償スキームを作っていますが、
http://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20110513-00000852-reu-bus_all

 しかし、政府案では、東電が債務超過に陥って破綻しないように、特別法を策定して設立する「機構」が優先株を注入する。「援助には上限を設けず、機構は必要があれば何度でも支援し、電力会社の債務超過を防ぐ」と盛り込んだ。破綻しないことが確約された上場企業が誕生したことになる。同スキームの作成に関わった財務省や融資銀行団の一部にさえ、「減資さえないことには、違和感を感じる」との指摘がある。

とあります。
つまり、今のところ、ルールを破りましょうという話で進められています。
歴史は繰り返すと言いますか、かつて銀行が破綻しそうになったときも同じでした。
「大きすぎて潰せない」
というヤツです。
東電にはたくさんの株主がいます。東電に賠償させるためには東電が持っているいろんな財産を処分し、おカネに換える必要があります。
さっき言った残余財産をみんな賠償に使ってしまえば、当然、東電の株主はおカネを失う事になります。
政府案では、それを避けて、かつ債権者に負担を求めようとしているわけです。
こうなると、
債権者のリスク>株主のリスク
となってしまい、債権者にとってはハイリスクローリターン、株主にとってはローリスクハイリターン、という不公平な結果になります。
ボク個人の考え方ですが、そもそも今回の賠償問題は、人災でもありますが、きっかけは天災でもあります。人災部分のみを追求していては肝心の被災者救済が滞ってしまいます。
被災者以外の人はたまたま運が良くて被災しなかっただけですので、すこしでも被災者を救済することができれば良いと考えます。
そのための原資(おカネの出所)は一民間企業の財産で足りないのなら、いずれにせよ国民負担とすべきでしょう。
ただし、上記のような政府案であれば、本来ルール通りに負担すべき株主リスクをすっ飛ばして、株主よりも責任の軽いはずの債権者や国民に責任を負わせる案です。
ボク自身も日々少しずつ募金していますし、多くの人もそうでしょう。たまたま運良く災害を逃れた国民が負担する事に違和感はありません。
それでも、まずは責任を取るべき人(原発推進してきた政治家、震災対応している政治家、東電経営陣、東電株主)が一義的に責任を負って、その上で不足は債権者、国民という順序で負担し合うというのが筋だと思うんですよね。
よく、資本主義の弊害が叫ばれますが、実は、きちんとルールを守る資本主義というのは非常に公平で健全なんですよね。
つまり、資本主義のルールを逸脱して、後付けで特定の人間だけがメリットを受けるような不公平さこそが不健全な社会なんですよ。
そういうのは資本主義とは言いません。
引き続き政府案を見守りつつ、一国民(つまり当事者であり利害関係者)として意見を発信したいと思います。
以下に、これまでに書いた関連記事を並べてみますので、あわせて読んでみてくだささいね。


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