君の膵臓をたべたい
あいかわらず毎日、色んな本を読んでいます。
読んだら、片っ端から、ここに感想文を書けば良いんですが、ボクは読書感想文は苦手ですし、普通の感想文を書く気もしません。
なので、気が向いたときだけ、たまに変な目線で書きます。
今回は、君の膵臓をたべたい、と言う本。
2015年の本で、ボクもずっと気になっていましたが、ようやく読めました。
主人公のひとりである女子高校生が膵臓の病気で命が助からないコトがわかっている中での残りの生活を描いた作品です。
ボクは、この手の作品には号泣間違いなしなので、及び腰になっていたんですよね。
かなり気分が爽快なときに読まないと耐えられない気がして。
そんなわけで、先送りしていたんですが、ようやく読む気になって、案の定、号泣。
導入部分から死は明らかにされているコトと、結末が意外であるコトに少し驚きますが、そこは読んでのお楽しみ。
ボクは、本題とは別に、当たり前のコトをあらためて認識しましたよ。
人は死ぬ
それは、人間の致死率は100%であると言うコトです。
そして、今後1年の間に死ぬ可能性は、概ね、1%です。
先日の記事でも書きましたが、日本では1年間におよそ130万人が亡くなります。
これは人口のおよそ1%です。
1日平均、3000人以上です。
不治の病を抱えた患者を見ると、気の毒に思うかも知れませんが、実はそれは間違いで、明日、死ぬ可能性は、誰でも同じなんですよね。
事故、犯罪、災害、心臓発作、その他、死ぬのには様々な原因があります。
膵臓の病気は、その中のひとつに過ぎません。
ニュースを見ればわかるように、毎日のように、交通死亡事故や殺人事件が起こっています。
人間のほとんどは、自分が何月何日に死ぬかを知りません。
知らずに死んでいくのです。
それらで亡くなった人たちも、生きているときは、まさか今日、自分が死ぬなんて思っていなかったはずです。
生きているときは、ニュースを見て、ああどこかで誰かが亡くなったんだな、と他人事のように思っていて、まさか次は自分だとは思いもしなかったでしょう。
もちろん、これを読んでいるあなたも、この直後に死ぬかも知れないわけです。つまり今日が人生の最後の日。
そして、ボクもまた、この直後に死ぬかも知れません。
それでも、人は多くが、明日も明後日も自分は生きていて人生を歩んでいくと思い込んでいる。
毎日毎日、3000人以上も亡くなっているのに。
1年間で人口の1%が亡くなる。
よく考えたら、死ぬのって非常に高い確率ですよね。
100回に1回は必ず落ちる飛行機に乗れと言われたら、たぶん誰も乗らないでしょう。
そんなに落ちる確率の高い飛行機なんてイヤですからね。
でも、現実には、その飛行機に全員が乗っているのと同じだと言えるわけです。
ボクが明日、事故で死んだら、またどこかの誰かが、そのニュースを他人事として見るでしょう。
このブログでよく書いて来たコトですが、明日からがんばろうと思うタイプの人はたいてい明日もやらないタイプの人です。
世の中を見回してください。
何かを成し遂げる人は、明日やる人では無く、今やる人です。
君の膵臓をたべたいの膵臓の病気患者である主人公は、天真爛漫に毎日を全力で生きます。
明日にはいないかも知れないからです。
でも明日にはいないかも知れないのは誰もが同じ。
にも関わらず、今できるコトを後回しにする人がたくさんいて、多くのコトをやり残す。
もしかしたら、それこそが、この世への未練になるのでは?
ボクは、そんな感想を持ちました。
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