シドニィ・シェルダン
今から30年くらい前ですかねえ。
1990年頃。
電車の吊り広告でよく目にしたのが、シドニィ・シェルダンと言う作家の小説。
とにかく大ブームでした。
大ブームでしたが、ボクはまだ未成年だったので、読みませんでした。
いや、未成年でも、中学生の頃に吉川英治の「三国志」を読破したくらいなので、読書家ではあったんですが、何となく大ブーム過ぎて避けていたのかも知れません。
当時のボクは、星新一、村上春樹、アガサ・クリスティを良く読んでいた記憶があります。
そんなブームはとっくの昔。
今日、シドニィ・シェルダンの「ゲームの達人」と言う本を読み終わりました。
ページが止まらない
ボクはこのブログで何度も書いて来ましたが、この10年くらい、ほぼ、電子書籍です。
電子書籍のメリットは繰り返し書きました。
とにかく、スキマ時間ができれば、さっとスマホで読書。
紙の書籍のように持ち歩かなくて良いので、読書量が圧倒的に増えました。
昔から本は良く読みますが、今は同時に10冊適度を併読する毎日です。
なぜなら、10冊でも100冊でも、スマホ1台で持ち歩けるからです。
そんな中、読み終わった、ゲームの達人。
シドニィ・シェルダンの本が大ヒットした理由は、単純に面白いからと言われます。
とにかく一度、読み始めると、ページをめくる手が止まらない。
で、ボクはどうだったか。
ボクが読んだのは電子書籍なので、紙のページではありませんが、やはり、ページをめくる手がなかなか止まりませんでした
あらすじを書いても意味が無いので書きませんが、とにかくめまぐるしくシーンが移ります。
面白いのは、主人公が交代していく点ですね。
物語としては、トータルで100年間近い長さがあり、その間に世代交代が起こるわけです。
しかし、ひとりだけ主人公を挙げれば、ケイトと言う女性。
長所と短所が激しく表に出てくる魅力あるキャラクターで、読者としても、特に未成年時代のケイトに魅了されます。
主人公が目まぐるしく代わると言う意味では、たまたまボクがいま同時に読んでいる吉川英治の新・水滸伝も同様ですね。
ゲームの達人と新・水滸伝と、どちらもが非常に面白く、どちらも展開が激しいので、ここ数日は交互に読む日々でした。
時代が進むほど、読書をする人が減っていると言われます。
ボクは前から言っていますが、テレビなんてモノは世の中の大勢の人が見ているんです。
何せ、ラクですからね。
何もしなくても、テレビが勝手に放送してくれる。
その結果、得られた情報は世の中の多くの人が知っている情報です。
つまり、希少価値はありません。
それにくらべると、読書は、自分の意思で行う必要があります。
堕落的な習慣となるテレビと違って、読書は能動的ですし、思考力も身に付きます。
人数が少ないので、読書で得られる情報は希少価値があります。
若いうち、元気なうちに、堕落的で希少性の無い人材になるか、能動的で希少価値のある人材になるか。
それで将来が決まりますね。
それでも、読書のとっかかりに腰が重い人。
ダマされたと思って、シドニィ・シェルダンの本を読んでみてください。
非常に軽快に読めます。
自転車と同じですよ。
ペダルの最初の一漕ぎ目は重いですけど、いったんスピードが出れば軽快に走りますよね。
そんな読書ができます。
読書習慣があるか無いか。
堕落的か能動的か。
それは、その人の人物を見ればわかりますよ。