民主主義
ミャンマーの軍事政権を見ていると、日本は世界の中でも平和な民主国家であるコトがわかります。
民主主義と言うのは、民に主権があると言う意味であり、本来は当然かつ自然な姿であるはずですが、長い人類の歴史では、それは当然でも自然でもありませんでした。
数多くの権力者が民を統治してきたのです。
日本でも、戦後は民主主義ですが、それまでは民に主権はあったとは言えません。
今でも、政権のコトを、お上(おかみ)と呼ぶ人がいるのも、その名残です。
本当は、民主主義なのだから、民がお上であり、政権はあくまでも民を下から支えるべきです。
お上と呼ぶより、お下と呼ぶ方が民主主義には適しているとボクは考えます。
権力
定期的に、政権に対する支持率が調査されます。
調査主体、調査母体によって、支持率は異なりますが、それでも数十パーセントの支持率があるのが普通です。
ボクはこれに対しても疑問を持たざるを得ません。
権力が国民を支持するのなら理解できますが、民が権力を支持するなんて、民主主義のあり方と矛盾するからです。
どんな政権、どんな政治家が来ても、常に支持するコトなく、批判の対象とする。
それが民主主義を維持するための基本です。
勘違いしないで欲しいのは、批判すると言うのは、反対すると言う意味ではありません。
政権は数々の政策を立案、実行します。
その中には正しいモノもあれば間違っているモノもあります。
それをひとつひとつ判断するのが批判です。
単に自分はA党支持者だからA党の政策を応援する、なんてのは思考の放棄と同じです。
A党でも正しい政策には賛同し、間違っている政策には反対すべきです。
それはB党でもC党でも同じ。
名前で判断せず、個々の中身を吟味する。
きちんと思考する。
民主主義が当然に存在すると思ってはいけません。
当然に存在すべきですが、歴史的には当然に存在しませんでした。
権力者が権力を強めれば民主主義は崩れます。
日本の歴史を見ても、それは例外ではありません。
今のボクたちは、こうやって自由に発言するコトができますが、それは民主主義のおかげであり、これが当然の姿です。
これをこれからも守り、次世代にも伝えるため、政権を支持すると言う思考放棄では無く、どんな政権であっても常に批判する態度を保ちたいモノです。
盲目的な支持や非難では無く、批判。
そこを理解しているでしょうか。