生活保護
メンタリストDaiGo氏の発言で、優生思想を持ち出す人がたくさんいました。
確かに、DaiGo氏は生活保護者やホームレスに言及しました。
そして、自分にとって、それらよりも大切な命がある、と言う発言をしたため、優生思想を持ちだして非難する人が大勢現れました。
その非難に反論する形となったために、結果的に、DaiGo氏も優生思想のような発言に至りましたが、もともと、論点がズレている気がするんですよね、ボクは。
自分にとってより重要かどうかが論点
要するに、DaiGo氏が言いたかったのは、自分にとってより重要かどうかだったわけです。
その例えとして生活保護やホームレスを例として出してしまったため、まるで優生思想であるかのように捉えられました。
例えば、多くの人にとって、自分の子供の命と赤の他人の命、どちらがより重要でしょうか。
どちらが重要かと言われれば、どちらも重要と答えられますが、どちらがより重要かと言われれば、自分の子供の命の方がより重要と答えるでしょう。
これ、異常でも何でも無くて、親として自然な考えだと思います。
沈みゆく船で、他人よりも自分の子供をいち早く脱出させたがる親が救命ボートに殺到するのはおかしな光景ではありません。
もっとわかりやすい例で言えば、ボクにとって、総理大臣や大統領や一代で巨大企業に育て上げる起業家の方が優れていますが、それでも、ボクの命と彼らの命を比べたら、ボクの命の方がより重要です。
ボクにとっては。
優生思想で言えば、彼らの方が上なんですが、ボクにとっては自分の命の方が重要と言えます。
DaiGo氏も、例として持ち出すなら、このように言えば良かったんじゃなかろうかと思ってしまうんですよね。
論点は、自分にとってより大事な命は誰かと言うコトなのに、たまたま例として生活保護やホームレスを出したがために、優生思想へと論点がすり替わってしまった。
子供を持つ多くの人にとって、赤の他人の命よりも自分の子供の命の方がより大事なので、そのコト自体は、特段異常では無い。
そう言うコトなんだと思いますよ。