より罪の重い人たちが罪の軽い人たちを責め立てる恐ろしい世の中
理研の笹井さんが自ら命を絶ちました。
神戸新聞NEXT|事件・事故|「疲れた」小保方氏らに遺書 理研
世の中が恐ろしいです。
日本の法律では極刑に該当するのは人の命を奪う場合に限られます。
論文の間違いくらいでそんな判決は出ません。
もしそんなことで極刑判決が出たら野蛮な国家として世界から非難されるでしょう。
しかし笹井さんは人生を終わらせました。
そこまで追い詰められるほど、世間からバッシングを受けたのです。
この世には論文の間違いよりもはるかに重い罪があります。
例えば自動車のスピード違反。
交通事故で毎年数千人が命を奪われ、数十万人がケガをします。
スピード違反さえしなければ多くの人がもっと生きられるのにです。
街を歩いても、道路を見ても、スピード違反をしているクルマは容易に見つかります。
このブログを読んでいる人にもスピード違反をしている人はいるでしょう。
スピード違反者は人の命を奪う予備軍です。
その予備軍はホントに大勢います。
ボクは論文の間違いよりも、スピード違反つまり人の命を奪う予備軍のほうがはるかにはるかに罪は重いと思います。
なのに、STAP論文に関しては全国からバッシングを受け、一方でスピード違反は非難されることも無く日々生活しています。
より罪の重い大勢の人たちが、自分の罪には目を閉じてSTAP論文を大批判し、その結果、人生の終焉へと追いやる。
ボクはSTAP論文に関する流用問題などはもちろん罪が無いとは思っていません。
問題が事実なら笹井さんにも小保方さんにも罪はあります。
その点は批判されるべきでしょう。
でも、それだけのことでは無いですか?
そのレベルに応じた批判に留めるべきです。
もし違法性があるなら法によって裁かれるべきです。
STAP論文問題によって実名が全国に晒され、全国から批判をされるのなら、それよりはるかに罪の重いスピード違反をする人も、当然に全国に実名を晒されて批判されるべきでしょう。
でも、人々は、珍しい事件には食いつく一方で、交通事故は日常茶飯事になりすぎて関心を持たないのです。
恐ろしい世の中です。
ホントによく考えてください。
STAP論文問題とスピード違反、どっちが罪深いか。
命にかかわる後者のほうがはるかに罪深いですよ。
罪深い人が自分の罪を棚に上げて自分より罪の軽い人を批判する世の中。
こういうことを書くと、自己正当化をしたい人たちが言い訳をします。
「事故回避のためにやむを得ずスピードを出すことは認められている。」
と。
ボクはもちろんそういう事を言っているのではありません。
スピード違反と知りながら意図的に行っている人たちのことを言っているのです。