究極の文章は書けなくても、気をつけることはできる
みなさん、こんにちは!
B-CHANです。
ボクはこうやって何年もブログを書いています。
どんなことでもそうですが、継続することは上達につながります。
1ヶ月に1回だけテニスの練習をする人よりも、毎日毎日テニスの練習をする人のほうが、テニスが上達するのは当たり前です。
これは、遊びでも趣味でも仕事でも何でもそうです。
ボクは別に文章の達人ではありませんが、当然ながら、若い頃よりも今のほうが文章力は上達しています。
これは自慢でも何でも無く、継続している人は誰でも上達することの一例です。
上達すると言っても、ひとつひとつは小さなことです。
例えば、
私は彼が彼女が示した場所に着いたと思った。
という文。
文法的には間違っていないんですが、とてもわかりにくいですよね。
私が思った
彼が着いた
彼女が示した
という3つの主語と述語があるんですが、前半に3つの主語を、後半に3つの述語を持ってきているため、とてもわかりにくくなるんです。
私は彼が彼女が示した場所に着いたと思った。
これを、
彼女が示した場所に彼が着いたと私は思った。
と書けばどうでしょうか?
主語のすぐ後に述語があり、それが3つ続きます。
こんなふうに、どの主語とどの述語がセットなのかをわかりやすく書くだけで、文はこんなにも変わるんです。
文章というのは内容さえ伝われば良いというものではなく、わかりやすく伝えることが大事なんですね。
わかりにくい文章は結果的に誤解を生みやすく、ホントに伝えたいことが伝わらないかもしれません。
次の文はどうでしょう?
私は毎日新聞を読んでいます。
「毎日新聞」を読んでいると解釈する人もいますし、「新聞を毎日読んでいる」と解釈する人もいるでしょう。
こんなふうに、わかりにくい文は正確に伝わらない可能性があるわけです。
この場合は、
私は新聞を毎日読んでいます。
と書いたほうがベターですよね。
こういったことは初めはなかなか気づかないです。
でも訓練を積むうちに気づくようになります。
だからこそボクは、ブログを日々書いています。
それが訓練にもなるからです。
社会で生きていくにはいろんな能力が要求されますが、そのひとつが文章力。
言い換えれば、伝えるチカラ。
これを高めるためには、とにかくたくさん読むこととたくさん書くこと。
今は普通の個人がTwitterなどで簡単に情報発信できる時代です。
日々、たくさんの文を読み、たくさん発信して、世の中に役立ってくれる人がどんどん出てくればいいなと思っています。