リスクについて
このブログの論調は全体的には論理的思考を意識しています。
ボク自身が普段から論理的思考を意識しているからです。
この前、こんなことを書きましたよね。
ネットショッピングのリスクと店に買いに行くリスク
Aは危ないから、Aを避けてBを選ぶと、実はBはもっと危険だったという事例です。
つまり選択肢が2つあるにもかかわらず、危険度の検証を2つのうちの1つにしか行っていないということで陥るリスクです。
Aを避けてBを選ぶ前に、AとBと両方の危険性を検証して比較しないと、より安全な選択肢を見落とすことになります。
とても簡単な事例ですが、そういうのを論理的思考と言います。
iPhoneのファンについて
別の話をしてみましょう。
iPhoneには熱狂的ファンが多いので、そういう人たちは、
「iPhoneは素晴らしい、Androidはダメだ。」
という論調になりがちです。
ここでも簡単な論理的思考をしてみましょう。
まず、iPhoneとAndroid、それぞれが良い悪いというケースをクラス分けしてみましょう。
- ケース1:iPhoneは良い機械である、Androidは良い機械である
- ケース2:iPhoneは良い機械である、Androidは悪い機械である
- ケース3:iPhoneは悪い機械である、Androidは良い機械である
- ケース4:iPhoneは悪い機械である、Androidは悪い機械である
善い悪いの程度の問題もあるため、本当はもっと複雑ですが、ここでは話を簡単にするために、この4つのケースに分けます。
存在しうる可能性としては上記4パターンです。
iPhone大好きな人たち(信者と呼ばれる人たち)は、ケース2を主張するわけです。
ここで考えてみましょう。
上記の4つのケースの中で、「iPhoneが良い」に該当するのはケース1とケース2の2つあるわけです。
にもかかわらず、ケース1の可能性を排除して、ケース2を主張しているわけです。
冷静に考えてみれば、Androidの良し悪しとiPhoneの良し悪しには連関性はありません。
どういう事かというと、iPhoneの性能の善し悪しとAndroidの性能の善し悪しは無関係であるということです。
iPhoneの性能が上がったからと言って、Androidの性能が下がるわけではありません。
どちらも開発に力を入れているわけですから、
iPhoneの性能が上がって、Androidの性能も上がることも当然あります。
結果、上記ケース1の可能性も当然考えられます。
iPhoneが良いから他はダメだ(ケース2)という可能性ももちろんありますが、iPhoneも良いけど他も良い(ケース1)という可能性ももちろんあるわけです。
「iPhoneは素晴らしくてAndroidはダメだ」という趣旨の発言は、ケース2しか頭に入っていないことになります。
iPhoneの性能とAndroidの性能に連関性が無い以上、実際にはケース1も起こりえるわけですから、ケース2だけを断定してしまうのは片手落ちです。
わかりますかね。
絶対評価、相対評価
さて、ここで、話を別の視点に切り替えます。
それは絶対評価と相対評価についてです。
上記の4つのケースは、いったん置いておいてくださいね。
絶対評価というのは、他のものと比べないで、それ自身を評価することです。
相対評価というのは、他のものと比べて評価することです。
例えば、100点満点のテストがあるとします。
A君は98点、B君は97点、C君は95点、D君は94点を取ったとします。
ここで相対評価をすると、D君はA君よりも劣っていることになります。
「D君はA君より劣っている」…※1
この文をよく眺めてください。
世の中を見渡していると、こういう文から大きな誤解が生じることがよくあります。どんな誤解かというと、
「D君は劣っている」…※2
という考え方です。実は絶対評価をすれば、D君は100点満点のテストで94点を取っており、非常に優秀な生徒なのです。
単にA君との相対評価で劣っているだけに過ぎません。
D君のことを優等生か劣等生かと判定するなら優等生なんですよ。
(話を簡単にするために性格などは無視してください)
D君は4人の相対評価で一番下だったというだけで、絶対的には十分優秀なので、クヨクヨせずに誇りに思えばいいのです。
逆に、ある100点満点のテストで、E君は18点、F君は17点、G君は15点、H君は14点しか取れなかったとしましょう。
その場合、E君は優秀だと言えるでしょうか。あくまでもE君は4人の相対評価では一番上だったというだけで、絶対評価としての実力は低いわけです。
「そんなの当たり前だろ!」
と言われるかも知れませんね。それくらい当たり前の話なんですよ。絶対評価で評価しないと真実を見誤ってしまうことがあるということです。
にもかかわらず、世の中にはその当たり前のことが出来ていないケースがあります。
血液型占い
ボクがよく思うのがテレビ番組の血液型占いのコーナーです。
血液型には4つのタイプがあると言われていますが、それぞれを上記のA君B君たちに当てはめてみてください。
「今日の1位はA型です。良いことが起こりそう!」
「今日の最下位はB型です。悪いことに気をつけて!」
おかしいと思いませんか?
そうです。相対評価と絶対評価を混同してしまっています。
1位とか最下位とかというのは、あくまでも4つの血液型の相対的な位置関係であって、その事自体と運勢の良し悪しは関係ありません。
この血液型占いをさっきのテストに例えれば、最下位のB型がD君である可能性もあるわけです。
「B型は4つの血液型の中で順位が最下位」
ということが
「B型が運勢が悪い」
という誤解を生んでいるわけです。さっきの※1の文と※2の文を思い出してみてください。
相対評価では一番下でも絶対評価として何ら心配無用あるいはとても幸運かもしれないという可能性もあるわけです。
つまり血液型A型もB型もO型もAB型もみんな運勢は良いけど、4つを比べたらB型が一番下だったという可能性です。
にもかかわらず、テレビの血液型占いは毎日、
「1位の人は幸運で、最下位の人は不運」
と相対評価の結果に対して絶対評価を下してしまっています。
ここで再び、この記事の一番最初の4つのケースの話を思い出してください。
その考え方を血液型占いに当てはめてみます。
- ケース1:4つとも幸運
- ケース2:3つが幸運で1つが不運
- ケース3:2つが幸運で2つが不運
- ケース4:1つが幸運で3つが不運
- ケース5:4つとも不運
こんなふうに5つのケースが起こりえますよね。いずれのケースの場合でも相対評価、つまり順位付けは可能です。
しかしテレビの血液型占いはこの5つの可能性の中で、ケース3しか考慮していないわけです。
だから1位の人はいつも幸運で、最下位の人はいつも不運という絶対評価をされてしまうわけです。
本来は、ケース5の、
「1位はA型の人です。でも不運な1日です。最下位はB型の人です。非常に不運な1日です。」
というふうに、相対的には1位でも絶対的には不運な日があってもおかしくないはずです。
つまりテストのE君の事例ですね。
わかりましたか?
世の中のおかしさを論理的思考で見抜く
世の中にはおかしなことがまかりとおっていても、それを論理的思考で見抜くことができないと、結局、おかしなことがそのまま通用してしまうことになりかねません。
そういう事例はいくらでもあるので、今後も紹介していきますが、大切なのは、世の中に普遍的に存在するものが常に正しいとは限らないという視点を持つことです。
法律だってそうです。
法律を破ることを「違法」と言いますが、実際には法律のほうが間違っていることもよくあります。
その場合、正しいことを行った結果、「違法」になってしまうわけです。
ですので、法律を守ること=善、法律を破ること=悪、と盲目的に考えるのではなく、法律自体が正しいかどうかを見極め、人間として正しい行いをするという考え方が大事になってきます。
間違った法律は改正する必要がありますし、実際に法律の改正は毎年たくさん行われています。
もし悪い政治家を選んでしまうと間違った法律が立法施行される危険や既存の法律が改悪あれる危険もあり、正しい行いをした人が違法行為で逮捕されてしまうことにもなりかねません。そうなったら国は終わりです。
日本は国民主権の国ですから、一人ひとりがしっかりと論理的思考を働かせて、選挙など、政治に参加していかないと自らの首を締めることになりますし、弱者をいじめる国になります。
正しい行いをした自分の家族や友人が逮捕されるようなことがあってはいけません。
そうならないことを願って、こういう記事を書きました。