量より質
別に人間に限ったことでは無いですが、基本的には何でも量より質が大切です。
ムダにダラダラと長時間の勉強をするよりも短時間でも効果的な勉強をしたほうが役立ちます。
食べ物も単に大量に食べてもかえって身体に悪く、それよりもバランスの良い、つまり質の良い食事が大切です。
人間もそうですよね。
希薄な関係の100人よりも心から信頼して助け合える友人が一人でもいるほうが、人生には大切だと思います。
インターネットではSNSが定着したので、Facebookの友達申請数やTwitterのフォロワー数など、目に見える数はわかりやすいです。
実際の生活でも、学校の同級生やサークル、職場の同僚など、同じ組織に属している仲間はたくさんいると思います。
しかし大切なのは、そういった数よりも、どれだけ心がつながっているかだと思うんですよね。
同じ組織のつながりのことを、ボクは、友達ではなく、●●仲間と呼んでいます。
そう、遊び仲間、仕事仲間、サークル仲間、などですね。
仲間というのは、ある意味においては希薄な関係です。
波風が立たないように、お互いにほめ合い、相手の間違いに気づいても指摘することも無い。
そんな関係です。
気まずくなることを避ける、そんな関係。
いっぽう、友達というのは、心からつながっている関係のことです。
だから、相手を叱ることができる。
相手が間違っていたら、叱ることによって、相手が自分の過ちに気づく。
すると、そこで自分を正すことができるわけです。
そして、心からつながっているので、叱ってくれた相手に感謝します。
ボクも友達を叱ることは時々ありますし、逆にボクの間違いを指摘してもらうこともあります。
そんなときはお互いに感謝です。
これが友達ではなく、単なる遊び仲間だと、間違いを指摘された時に、相手に腹を立ててしまうんですね。
つまり、心がつながっていないから、間違いを指摘する方は、相手を思う心ではなく、単に間違いの暴露になってしまい、間違いを指摘された側も、自分が改善されるメリットよりも、間違いをバラされた腹立たしさが優先してしまうわけです。
その結果、もともと希薄な人間関係が、さらに悪化します。
友達だからこそ
もう一度書きます。
人間は完璧ではないので、必ず間違いを犯します。
そんなとき、
友達なら、それを指摘することによって、指摘された側は改善し成長し感謝します。
友達未満の単なる遊び仲間なら、それを指摘することによって、指摘された側は腹を立てるだけなので自分は成長せず、人間関係も悪くなります。
みなさん、今までの人生を振り返ってみてください。
誰かを叱った(「怒った」じゃないですよ)、あるいは、誰かから叱られたことはありますか?
そして、その結果、改善し、成長し、感謝したことはありますか?
それとも、そういう波風が立つのを避けるばかりですか?
それによって、あなたが、友達に囲まれているのか、あるいは単なる●●仲間に囲まれているだけなのかがわかります。
怒ると叱るを混同しないでください。
怒るというのは単に個人的に腹を立てているだけです。
叱るというのは相手の成長を促す行為(かつ好意)です。
あ、別に、仲間が大事では無いと言ってるのではありません。
仕事にも遊びにも仲間は大切です。
ただ、その中で、仲間の枠を超えて、お互いに、命、財産をかけられる「友」がいる人生はすばらしいと思うというお話です。
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