機会の平等と結果の平等
みなさん、こんにちは!
格差社会、楽しんでますか?
格差格差って言いますけど、機会の平等と結果の平等を混同してる人も多いですよね。
例えば、どこかの小学校では、運動会で競走するときに、格差を無くすために、みんな揃ってゴールする、なんて冗談のような話があります。
これは結果の平等を求めてるんですよね。
結果の平等を求めるということは共産主義です。
努力した人もサボった人も、みんな同じ結果。
不公平ですよね。
だからダメなんです。
努力した人は報われる、そういう結果の不平等は全然構わないわけですよ。
努力して練習した人が1位を取れる。
でも、体力に自信の無い人もいる。
そんな人は他の分野で1位を取れるように努力すればいい。
絵がうまい人、算数が得意な人、しゃべるのが上手な人。
いろんな人がいろんな自分の得意な分野で能力を発揮すれば、世の中に役立つわけです。
大事なのは結果の平等ではなく、機会の平等ですね。
競走するのに、スタート地点が人によってズレてたら、それは不公平です。
きちんと横並びでスタートして競走して、努力した人が勝つ。
これでいいんです。
今の格差社会問題って、この機会の平等と結果の平等を混同している人がいて、結果的に格差ができていることに文句を言う人が多かったりします。
上記の通り、結果の格差はたいした問題ではありません。
結果的に勝てるように努力すればいいんですから。
ボクがいつも書くように、9割の人は家に帰ってテレビを見て寝るんですよ。
でも、そういう人たちがそういう生活をしている間に、毎日毎日、勉強したり自己研鑚して能力を磨きます。
そうやって格差は生まれるんです。
そうやっても格差が生まれないのなら、サボってる人も努力している人も同じ結果なら、とても不公平で堕落した社会になります。
共産主義が崩壊していくように、堕落した人々の集団社会は、いずれ支えられなくなります。
ボクは相続税は100%でいいと思うんですよね。
つまり親からは財産を引き継がない。
理由はすでに書いたとおり。
もちろん子供が大人になるまでの子供の生活費は平等に国が支給しても良いでしょう。
相続税を100%にすれば、財源は出来てきます。
今の社会だと、たまたま金持ちの家に生まれた子どもと、たまたま貧乏な家に生まれた子どもとで、すでにスタートラインが違ってしまっています。
競争するうえで、最初から不公平な条件なわけです。
能力は関係無いんです。
運だけで左右されてしまうんです。
すると、サボっている人でも金持ちの家の子なら有利な競争ができる。
努力する人でも、たまたまスタートラインが後ろにセットされたために負けてしまう。
まさに不公平で堕落した社会です。
なので、親が貯めた資産は親の代でリセット。
子供は子供でみんな同じラインからスタートする。
そして努力した人が報われる。
これが健全な資本主義だと思いますよ。
この話をすると、
「生まれつき障害のある子供はどうするんだよ。」
と言う人がいます。
でもボクの文を読んで趣旨を理解してもらえば、解決できることに気づくはずです。
生まれつき障害のある子供には手当を支給すればいいんです。
生まれつき障害があるということでスタートラインが後ろに下がっているので、手当を支給することで、健常な子供と同じラインにまで引き上げるわけです。
機会の平等化ですね。
災害に遭った人も同じです。
災害に遭った時点で競争が不利になったので、義援金などの手当が支給されるんです。
もちろんすべての人を完全に平等にするのは難しいと思います。
でも、今の社会のままだと、完全に不公平なので、それよりはずっとマシになるはずなんですよね。
格差社会格差社会と聞いていると、そんなことを思ってしまうB-CHANでした。