クリスマス
12月24日ですね。
ボクはずっと独身でずっと一人暮らし。
クリスマスをクリスマスとして過ごした経験もほとんどありません。
普通の1日として過ごす。
死ぬまでそうなんでしょう。
そんな中で、昨日、このブログの記事の数が3400本に到達しました。
ボクの中で、いくつかの目標があります。
例えば、あと1年で、このブログは10周年。
1683日連続でブログを書き続けているので、あと1年ほど書き続ければ、2000日連続執筆です。
クリスマスも正月も、同じように書き続けています。
飲んだ日も、出張の日も。
誰も見ていなくても
人生で守るべきコトを自分の中で決めています。
それは、人の目を気にしない、と言うコトです。
これには色んな意味があると思います。
他人の目を気にせずに、自由に生きると言う意味もあります。
その意味では、自由気ままと言う意味にも取れますが、傍若無人と言う意味とも言えます。
他人の評価など気にしない、と言う意味もあります。
人目を気にして大胆なコトができなかったり、他人からの評価を気にしてビクビクしていては、心配のタネばかりが増えます。それは神経をすり減らします。
もうひとつは、他人の目が届いていなくても、善人でいる、と言う意味もあります。
例えば、人前では良い人でいても、誰もいないトコロでは平気でゴミを捨てる。
それって、結果として、街が汚れるコトに変わりはありません。
人が見ていても見ていなくても街が汚れる。
つまり、人の目は結果には関係ありません。
人が見ていても見ていなくても街を汚さない。
その心がけが大切です。
でも、人の心は弱いモノ。
誰かからの視線がモチベーションになるコトが多々あります。
仕事でも勉強でもそうですよね。
上司から言われて仕事する。上司の目が離れればサボる。
親や教師から言われて勉強する。目が離れればサボる。
一番良いのは、自分の意思で行動するコトです。
それがなかなかできない人が多数。
そこで、常に視線がある状態に設定するのです。
それが神様の存在。
言っておきますが、ボクは宗教の信仰心は一切ありません。
が、それとは無関係に仮想の神様を存在するモノとして設定しています。
つまり、神様が24時間、ずっとボクを監視している、と。
街にゴミを捨てれば、それを神様が見ている。
逆に、誰も見ていないトコロでゴミ拾いをしても他人は知らないので、他人からは評価されません。
それでも神様は見ているわけです。
本質的に言えば、誰かの評価を得るために良いコトをするわけではありません。
誰の評価を得られなくても、自分の行動が誰かの役に立って、それを喜びとできれば最高です。
でも、どうしても、そんな気持ちにならない人でも、そう言う行動に持って行く手段。
それが仮想神様ですね。
誰も見ていないトコロでゴミ拾いをしても誰もほめてくれないから損した。
そうではありません。
神様が見てくれています。
神様が評価してくれています。
信仰心が無くても、人として、善なる行動をするための手段。
それが仮想神様。
ボクのブログ執筆も、完全に習慣化できていますが、それは、ボクの仮想神様が、ボクに言い聞かせるのです。
今日も書くんだろ、と。
対話です。
悪の行為をするコトは実は何のメリットもありません。
人からは嫌われるだけです。
意思が弱いのに自分で納得する習慣を身に付けたい。
そんな人は、仮想神様を設定すれば良いのです。
習慣化のパワーはすごいです。
1日に1時間の行動を10年間続ければ、3650時間です。
その人に追いつくには、1日に3時間の作業を1日も休まずに続けても3年以上かかります。
1日に3時間も時間が取れますか?
しかも3年以上も休まずに。
まず無理ですよね。
だから、短期集中では無く、少しずつ長期継続。
それさえ実現すれば、他の人からは追いつかれないスキルが身に付きます。
習慣化の実現方法は人それぞれですが、ボクのような仮想神様はコスト不要。
何事も三日坊主で、無為に日々を過ごしていて悶々としているのなら、今日から始めてみてください。
いつも言っていますが、明日からやる人は成功しません。
今からやるんです。