1日24時間
長年、生きていると、色んな人と出会います。
ボクが印象的なのは、仕事で通勤時間が片道2時間の人たちですね。
ボクは、10回ほど仕事を変えていますが、どれも、通勤は1時間以内です。
関西で生まれ育ち、30歳を過ぎてから関東へ移住したので、関西でも関東でもさまざまな場所に住み、様々な職場を経験していますが、一貫して通勤時間は片道1時間以内。
片道30分くらいで着く環境も経験しました。
直近の職場で40分くらいです。
朝の8時に自宅を出れば、8時半過ぎには到着します。
ちなみに人生で最初の通勤は、関西の阪急宝塚線の売布神社駅から豊中駅でした。
住居は売布神社駅から徒歩5分、職場は豊中駅から徒歩0分。
なので通勤時間は23分でした。
ホントに、自宅を出たらすぐに職場でした。
仕事をコロコロ変えるので、そのたびに、引っ越しました。
誰もが平等に1日24時間を与えられていますが、そのうち、ボクが通勤に使う時間は往復で1時間半弱程度です。
通勤時間が片道2時間の人たちは、通勤だけで往復4時間。
1日の6分の1を通勤だけに使っているわけですね。
荒っぽい言い方をすれば、60年間働くなら10年間は通勤のための人生です。
目に見えないコスト
コストと言うと、とかく金銭的なコストで計算しがちですが、実は時間も重要なコストです。
しかも、金銭は増やすコトが可能ですが、時間は消費するコトしかできません。
人は、いつ死ぬかはわかりませんが、その時点に向かって、残り時間がどんどん減っているわけです。
時間は戻りません。つまり、残り時間は増えません。
どれくらいのペースで減っているか。
1日あたり24時間ずつ減っているのです。
当たり前ですね。
その24時間は、二度と取り戻せません。
1日に4時間を通勤で使う人と、1日に1時間半を通勤で使うボク。
1日ですでに2時間半つまり150分もボクの方が多くの時間を自由に使えるのです。
月に20日通勤するなら、3000分つまり50時間。
1年間で600時間。
ただ普通に暮らしているだけで、ボクの方が1年間に600時間も多く使えるわけです。
2時間の映画なら300本も多く見られるのです。
その時間を利用して、さまざまな学びが可能です。
資格試験、語学、交流その他。
まともにそれらを吸収すれば、スキルアップにつながり、年収が上がる可能性が高いです。
年収が100万円上がるとしましょう。
月額で8万円以上。
と言うコトは、家賃で言えば、8万円アップまでに収まるのなら、都心からより近いエリアに住んだ方がオトク、と言う計算になりますよね。
もちろん、年収だけに限りません。
1年間で人生が600時間も長いので、それだけで、長生きしているのと同じコトです。
もちろん、通勤電車の中で読書など、できるコトもありますが、限られますよね。
もっとすごいのは、自動車通勤の人。
さすがに片道2時間も自動車通勤する人はあまりいませんが、片道1時間でも自動車通勤なら、自分で運転する必要があるので、読書もできません。
音声学習くらいしか、見当たりません。
もちろん、運転の疲労や事故リスクもあります。
収入は、もちろん運不運もありますが、よく環境を見てみると、改善できるコトが多いのです。
往復で4時間も通勤に使っている人は、通勤時間がほとんど無い人に比べて自由時間が少ないので、とても太刀打ちできません。
目先の家賃の安さも大事ですが、この先10年20年を見越すのであれば、どれだけ自由時間を多く取れるか。
それが実質のコストに跳ね返ります。
年間で家賃が50万円安くても、年収が100間年低ければ、トータルでマイナスです。
時間が無いコトを理由に自己研鑽しない人が多いですが、そのほとんどは、時間が無いのでは無く、時間が無い状態を作り出しているコトが原因です。
もちろん、どんな生き方を選ぶのも個人の自由です。
1日に往復4時間を通勤に使う生き方をするのも自由です。
そして、その結果を負うのは自分の責任です。