感情論
少年アシベ、と言う漫画があります。
古い漫画ですが、ゴマちゃんと言う、ゴマフアザラシの赤ちゃんが登場するコトでおなじみです。
ボクもずいぶん昔に読んだんですが、非常に面白く、ゴマちゃん人気を抜きにしても、かなりの名作だと思っています。
その中で、ボクの印象に残っている話があります。
うろ覚えなので詳細が違っていたらゴメンナサイ。
登場人物は、完治、味田の2人です。
完治にいつも煮え湯を飲まされている味田は完治に仕返しをしたいと思っています。
ある日、社員旅行で泊まりに行き、風呂の場面になります。
味田が先に浴槽に気持ちよさそうに浸かっていて、完治はその様子を見て、自分も浴槽に飛び込みます。
すると、お湯が熱湯で、完治は、思いっきり熱がるわけです。
味田は見事に完治に仕返しをできたわけです。
この話のポイントは、完治に仕返しをするために、味田はあらかじめ熱湯風呂に浸かっているわけで、自分自身も同時に犠牲になっている点なんですよね。
ボクは爆笑しましたが、ここに味田の悲哀があるわけです。
今でも覚えている名作です。
味田は、完治に仕返しをしたいと言う感情にしたがって行動し、そのためのデメリット、つまり自分もまた犠牲にするコトを受け入れてしまっているわけです。
銀行強盗
話は変わりますが、銀行強盗について考えてみましょう。
こんな話を考えました。
ある銀行の支店に銀行強盗が入りました。
銀行強盗は人質をとって立てこもっています。
銀行員とお客、合わせて50人。
事件は膠着状態で解決しません。
結局、警察は強硬手段に出ます。
銀行の建物ごと爆破するのです。
これにより、銀行強盗を退治するコトができました。
めでたしめでたし、でしょうか。
実は同時に、銀行員とお客50人も全員が犠牲になっています。
ある目的、ここでは銀行強盗を退治するコトですが、それだけに着目して行動を起こすと、それ以上のデメリット、ここでは銀行員とお客50人が犠牲になるコトですが、それが起こるコトに気付かなくなります。
この銀行強盗の話はあくまでも作り話であって極論ですが、実は、現実の社会では、それと同じ意見を正論として振りかざす人が一定数います。
今回は、あえて、その事例はここには書きません。
いずれ、別の記事に書いてみたいと思いますが、みなさん、良ければ、考えてみてください。
外交問題でありがちな話です。
木だけを見て行動すれば森が犠牲になる。
いずれ、そんな外交問題を書いてみたいと思います。