新興宗教
ボクが若い頃の話。いや、今でも若いんですけどね〜。
当時のボクのカノジョ。
カノジョはとある新興宗教の信者でした。
今のボクは当時のボクとは宗教に対する考え方は変わりました。
今のボクは信仰の自由が信条。だから、誰がどの宗教を信じるのも自由。まあ当たり前のことですね。そしてボクがどの宗教を信仰しないのも自由なわけです。
当時のボクは宗教は縁遠い存在でした。つまり信仰や信者そのものに触れないと言う考え。
そんなボクのカノジョが新興宗教の信者。
これは何か運命だったのでしょうか。
宗教施設
付き合った当初は信者であることを知らなかったのですが、付き合っていると当然、信者であることを知ることになります。
しかし、そのこと自体でボクが拒絶反応を示すことはありません。新興宗教のことをほとんど知らなかったので、むしろ関心がありました。
で、徐々にカノジョの生活が明らかになります。
とにかく日曜日には礼拝(?)に行くんです。
信仰の自由と言う言葉はどこへやら、もはや義務のように毎週通います。
で、ボクもついに連れて行かれました。
大阪府の某所の山中。
そこに巨大な宗教施設がありました。
大阪にこんな場所があったなんて、と驚きで口がふさがりませんでした。
さらに驚いたのは信者の数。見渡す限りの広大な敷地に、信者、信者、信者。
数え切れないほどの数の信者。
そして建物に入り、体育館のような広大な空間に。
そこでは数百人(数千人?)もの信者が、みんな同じ方向を向いて座り込んで、お辞儀をしながら両腕を上げ下げしていました。
こんな感じ。礼拝って言うんですかね。
ボクは自分がそこにいることに衝撃を受けながらも、同じ動作を真似させられました。
みんなが向かっている方向の先には巨大スクリーンがあって、教祖様が映っていました。
教祖様は東京にいて、全国の教団施設に映像が中継されているそうです。
おカネがあるんですねえ。
結界
その後もそのカノジョとはお付き合いが続きました。
信者であることを除けば普通の人でした。ただし日曜日は礼拝に行くため会えません。ボクは最初の1回以降は参加しませんでした。
ドライブにも良く行きました。
運転しているとカノジョが、
「この先に結界があるから停まって。」
などと言います。もちろん結界なんて無いんですが、無いことは証明できないので、いつも押し問答。
信仰の自由
結局、カノジョとは別れました。
別れた理由はカンタンで、子供のこと。
カノジョは、
「子供が生まれたら迷い無く信者にする。」
と言ったんです。
完全に信仰の自由の侵害ですね。
ボクはカノジョが信者だと知っても咎めませんでしたし、お付き合いも続けました。
信仰の自由を尊重したからです。
しかし、子供の信仰の自由をカノジョが侵害する意思を持っていたことで、それ以上の継続はできなくなったからです。
ボクはカノジョの信仰の自由を尊重したのに、カノジョは子供の信仰の自由を侵害する。
もし、宗教の本質が愛であるのなら、ボクの考え方の方が愛情があると思いませんか?
世界中の多くの戦争、紛争は宗教が原因で起こります。
宗教って何なんでしょうね。
他人を侵害するような愛の無い宗教に存在価値は無いと思います。
ボクは宗教を全否定はしません。学ぶことも多いですからね。
この本はオカルト要素は無く現代科学的で非常に面白かったです。