キラキラネーム
なじみの無い名前を子供に付けると、
キラキラネーム
と呼ばれます。
この話題は一般大衆の思考力・判断力が問われるので、その社会の先進性のレベルの話にもなります。
自分の体験した常識が正しい。
人はそう思いがちなんですよね。
つまり、
常識 = 良識
であるかのように思ってしまうんです。
人の名前なんて、時代と共に移ろうんですよ。
歴史の教科書に登場する人物の名前を思い出してみてください。
- 家康
- 文左衛門
- 幸村
- 利休
一方、昭和や平成の時代でなじみのある名前と言えば、
- 透
- 翔
- 祐二
- 浩一
- 知治
- 明
これらの名前を戦国時代の人たちが見れば、それはもう、キラキラネームですよ。
ボクの名前もキラキラネームですし、これを読んでいるあなたの名前もキラキラネームです。
言葉は時代と共に変化します。
自分になじみの無いモノが登場するのは当たり前のことであり、現在、キラキラネームと呼ばれている人たちもまた、いずれ常識となり、またその次の世代の名前をキラキラネームと呼ぶようになります。
常識は良識とは限らない
既存の当たり前の概念があっても、それは単に普及していたと言うだけであって、必ずしも正しいとは限りません。
数十年前までは男性が外で働き女性が家庭にいることが常識でしたが、それが正しくないことは今では常識です。
変化しましたね。
結婚もそう。
LGBTもそう。
本来は自由なんですよ。
転職もそう。
生き方に関して、こうあるべき、なんてことは何ひとつ無いんです。
2つのコースを考えてみてください。
- Aコース…自分で決めた生き方
- Bコース…赤の他人が決めた生き方
あなたはどちらを選びますか?
もちろん、どちらを選ぶのも自由ですが、せっかくの自分の人生。
やはり、自分で決めた生き方をしたいと思いませんか?
しかし、大半の人は世の中の常識に従って生きます。
学校を出て就職して結婚して家を買って。
このパターンって、その人のオリジナルでは無く、既存の生き方なんですよね。
つまり、Bコース。
他人が決めた生き方を選んでいるわけです。
生き方だけでは無いですね。
考え方全体がそう。
例えば、夫婦で同じ姓を付けるのは今の日本の制度ですが、この制度だって正しいわけではないわけです。
別姓でも全然構わなくて、それは制度のさじ加減次第です。
でも、同性こそが日本の伝統だから伝統を守るべきだ!
と言う人も出てくるんです。
もちろん、同性は日本の伝統でも何でもありません。
むしろ、歴史の途中で夫婦同姓の制度を作ったので、伝統を破壊したんですよね。
でも、今やそれを常識だと思い込む。
繰り返しますが、常識は良識とは限りません。
思い込むことで、ムダに無意味に被害を被る人が出てきます。
現存する概念はすべて、歴史の途中で登場したモノであって、それが正しいモノとは限らない。
その考え方を持ち続けるかどうか。
それが自分の人生を歩むことができるかどうかです。
世の中の常識に従って生きるか。
世の中の常識とは無関係に自分で考えて生きるか。
ボクが良く書いているテレビの記事もそうなんですよね。
世の中的にはテレビを見るのが常識ですが、ボクはテレビを持っていません。
それは、そのことによって、常識を植え付けられる、つまり、マインドコントロールされることを防げるからです。
会社をやめてブログで生きていく、と誰かが宣言すると、常識派の人たちがあれこれと苦言を呈するシーンを見ます。
ボクはそんなシーンをニヤニヤと傍観しています。