震災の日
1月17日は阪神・淡路大震災が起こった日。
ボクも被災者です。
東日本大震災は2011年なので、すでにインターネットの時代であり、スマートフォンも普及していたため、とにかくネットで閲覧できる情報が多いです。
それに対して阪神・淡路大震災は1995年。
インターネットが普及する直前くらいの年です。
携帯電話すら、ほとんどの人が持っていませんでした。
そんな時代なので、今、ネットで調べても、データが圧倒的に少ないんですよね。
なにせ当時は、一般人がカメラを持ち歩いていることなんて無かったですから。
記録が非常に少ないんです。
なので、頼るのは被災者、当事者の記憶です。
実際、東日本大震災でもそうですけど、現場のヤバい状況は報道されません。
少なくともテレビやラジオでは規制がありますからね。
阪神・淡路大震災の現場で、ボクは、周囲の家の大半ががれきの山になっているのを目の当たりにしました。
でも、それはマスコミも報道します。
ボクが体験したのはその先。
がれきの山の中から、
助けてー!助けてー!痛いー!
と言う泣き叫ぶ悲鳴。
そして、救出された女性は血だらけで全身が真っ赤でした。
彼女がその後、無事だったのか、ボクにはわかりません。
それがテレビやラジオで報道されない現場です。
死者●●名とカンタンに数値で発表されますが、それは、その数だけ、現場では、激しい痛みや灼熱、地獄の苦しみと共に命が失われていったと言うことです。
被災者よりも
ただし、勘違いしないでほしいのは、
被災者が一番かわいそう
なんてボクは考えていないってことです。
日本では毎年、交通事故で数千人が亡くなり、数千人が餓死し、1万人以上が自殺します。
毎年、震災以上の人数の方が、不幸な亡くなり方をしています。
1日平均3000人。
今日だって日本のどこかで3000人。
明日も3000人。
1回の震災で数千人亡くなっても、1回の交通事故で1人亡くなっても、命の重さは全く同じ。
だから、震災だけを特別視するのはおかしく、むしろ規模が小さいせいで注目されない事故や事件の被害者の方がずっと気になります。
例えば、阪神・淡路大震災と同じ年に起きたサリン事件。
あの被害者の中には、全身が麻痺して、今も自由に身体が動かせずに生きている人がいます。
ホントに普通に生きていた人が、ある日突然、何の罪も無いのに、サリンの犠牲になって生きているのです。
これを読んでくれているあなた。
想像してみてください。
明日、自分がいきなり犯罪の犠牲になって、残りの人生を寝たきりになったとしたら。
それが現実に起きたわけです。
言い方は悪いですが、ボクを含めた震災の被災者には程度の差があります。財産を失った人。命を失った人。家族を失った人。
財産を失っただけなら、何とかなるんです。
身体さえ元気に動かせるなら。
でも、サリンの犠牲で寝たきりで生きている人の苦しみは、財産を失った人とは比べものにならない大きさです。
若い被害者は、残りの人生も長いのです。
介護をしてくれる親が先にいなくなります。
記念日的に震災を振り返るとか風化させないコトも大切ですが、震災以上に苦しんでいる人がたくさんいて、その人たちを少しでも支援することの方がずっと大切であることを知ってください。
過去は変えられませんが、未来はこれからなのです。